雨と妖精に導かれて ──御曹司CEOからの溺愛ラビリンス

 東京ドームは、まだ何も始まっていないのに、すでに“伝説の予感”に包まれていた。
  十万人の観客が詰めかけたその空間は、ただのライブ会場ではなく、“想いが交錯する場所”と化していた。
 楽器たちがステージ袖でそわそわと揺れ、音を出す前からすでに“心”を奏でていた。
  MC席の背後では、映像演出の最終調整に追われるスタッフたち。
  その一角で、美里は深呼吸をし、ステージ衣装の袖を整えていた。
 「“再演”って、こんなに重たい響きだったんですね」
 そっと呟いた彼女に、羚音がにやりと笑みを浮かべる。
 「再演じゃない。“再証明”だ。あの夜、あの楽器の涙、あの声の震えが、偶然じゃないって、証明するだけさ」
 ステージ中央には、再現された“地下スタジオ”のセット。
  だが今回は、ステージ全体がそれに呼応するように、演奏と共に視覚が、言葉が、そして“楽器の声”が、観客一人ひとりに届くように仕組まれていた。
 「……行こう、美里。これは、君の“涙”から始まった物語なんだから」
 照明が落ち、会場が静まり返る。
 そして再び、あのイントロが鳴り始めた――



 イントロの旋律が響き渡ると、東京ドーム全体が息を潜めた。
  “あの夜”を知る者も、知らない者も、その音のはじまりに心を奪われた。
 ステージの照明が徐々に上がり、楽器たちがひとつ、またひとつと“声”を出し始める。
 「今夜こそ、本当の想いを届けるよ」
  「君の涙が、俺たちを音楽にしたんだ」
  「ありがとう、美里。今度は、君を支える旋律になる」
 観客にはそれが“声”としては届かない。
  けれど不思議と、目の奥が熱くなる。
  なぜか、涙が零れる。
 楽器の音色に、人々の記憶が呼応していくのだ。
 中央のステージに美里が現れる。
  白いドレスの裾が舞い、ゆっくりと、彼女はマイクの前へと歩を進める。
 その後ろに、泰雅が現れた。
 彼はタキシードに身を包み、静かに、だがはっきりと美里の背に寄り添う。
  その姿が、巨大スクリーンに映された瞬間、会場の空気が爆発したように歓声とすすり泣きで満ちた。
 やがて、美里の歌声が始まる。
 「──あなたに触れた、あの雨の夜
   世界が止まった、手のぬくもり」
 その旋律は、ふたりの出会いを、涙を、愛を、そして未来を語っていた。
 やがて曲のラスト。
 光の演出で天井が開かれ、そこから“光の雨”が降ってくる。
  妖精たちがその粒に乗り、客席全体を包み込むように舞い始める。
 十万人の観客が、その雨に濡れながら涙を流す。
 「……これは、私たちの物語。だけど今は、あなたの物語でもある。
   忘れないで。涙が優しさを教えてくれるってことを」
 最後の一音が響いたあと、すべての楽器がひと呼吸置いて静止した。
 そして──満場の拍手。
 スタンディングオベーションが波のように広がる。
 泰雅が、美里の手を取り、ステージの中央に立つ。
  ふたりを包む光が、まるで約束された未来そのものだった。
 【第36章『雨に溶け込む君の涙、再演』 終】