雨と妖精に導かれて ──御曹司CEOからの溺愛ラビリンス

 銀座の中心にそびえる有栖川グループの新社屋は、全面ガラス張りのファサードと石造りの構造が織りなす“静謐な威厳”を湛えていた。
  完成したばかりのその空間は、未来を象徴するようにまばゆく、だが同時にどこか張り詰めた緊張感をも漂わせていた。
 美里は、重厚な自動ドアの前で一瞬足を止めた。
  傍らには泰雅。
  彼の視線の先には、かつて“味方”だった男の姿があった。
 「……怜聖さん」
 会議室のガラス越しに見えるその背中は、かつてと変わらぬ整ったスーツに包まれている。
  しかしその空気は、確実に“対立する者”のものだった。
 「今日から、正式に“あちら側”のCEOとして、出社したらしい」
 「あなたの元にいた人が、こうして……敵として戻ってくるなんて」
 「ただの敵じゃない。“俺のすべて”を知ってる男だ」
 泰雅の声には、一切の怒りがなかった。
  あるのは、過去の記憶と、未来への覚悟だった。
 そのとき、ひとりの男が泰雅の背後から歩み寄ってきた。
  シャープなスーツ、計算された所作、そして周囲の視線を意識しながらも堂々とした足取り――
 「久しぶりだな、泰雅」
 「……帝我」
 「敵があれだけ明確になった以上、俺を呼ぶと思ってた。で? どうするつもりだ? 迎え撃つか、かわすか、それとも――勝ちに行くか」
 「“勝ちに行く”。もちろんだ。……そのために、お前を“軍師”として迎えに来た」
 帝我は一瞬だけ目を細めたあと、ふっと口元をゆるめた。
 「面白い。やっとお前も、戦う顔になったな」
 そして三人の視線が一点に向けられる。
 それは、“幸福の設計図”が描かれるべき、巨大なホワイトボードだった。
  そこには、まだ何も描かれていない。
  だが確かに、未来への第一歩を刻む準備だけは、整いつつあった――。



 銀座の空が、午後の日差しにきらめいていた。
  社屋の最上階に設けられた戦略会議室。
  大理石の床に映る光の模様のなかで、泰雅、帝我、美里の三人は、まさに“幸福の設計図”を描こうとしていた。
 ホワイトボードに映し出されたのは、怜聖がCEOとなった敵対会社の構造図と、過去数か月に渡る財務の動向、そして提携候補として名乗りを上げた複数の海外投資ファンドのリスト。
 「まず理解すべきは、怜聖は“破壊者”ではない。“改革者”だ。だからこそ厄介だ」
 帝我の指摘に、美里がわずかに眉を寄せた。
 「……彼は、どこかでまだ“信じてもらえる”ことを待ってる気がする。私たちの中のどこかで」
 「それが迷いになるようなら、戦には出るべきじゃない。だが――」
 泰雅が続ける。
 「その信じる気持ちを、“戦略”に転じることはできる。……勝つことで、もう一度“向き合う場所”に戻れるなら、迷いなく前に出る」
 「いい顔になったな」
 帝我はそう言って、手にしたペンをホワイトボードへと走らせた。
 “新ブランド構想”“社会貢献型事業”“次世代型人材育成プロジェクト”
 彼の字は力強く、迷いがなかった。
 「今のビジネスに必要なのは、“幸福の定義”を商品に乗せることだ。……人の心を動かす理念と、それを支えるリアルな設計がいる。お前が“彼女”から得たものは、まさにそこにあるはずだ」
 泰雅は、美里を見た。
 「……美里。君がいなければ、俺は“勝ち方”を知らなかった。勝っても虚しいだけだったはずだ」
 「あなたが、私を“中心”に置いてくれるなら、私はこの戦いに、何も怖くないです」
 ペンが止まり、“幸福の設計図”の中心に、ふたりで選んだ小さなマーク――心をつなぐ鍵――が描き加えられた。
 夜、会議室の灯りが落ちる頃、銀座の通りには秋の風が吹きはじめていた。
 それは、新たな戦いの予感と共に、どこか確かな“希望”の香りを運んでくる風だった。
 【第25章『幸福の設計図』 終】