「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

「お待たせ」

 黒いショルダーバッグを肩にかけた先生が現れる。
 私は読んでいた本を閉じて、図書館出入口にある長椅子から腰を上げた。

「遅くなってごめん」

 申し訳なさそうな顔を先生がする。約束した時間を十五分過ぎていた。

「大丈夫ですよ。本を読んでいたんで」
「お詫びにお昼ご馳走するよ」
「いえ、いいですよ。私こそ、先日先生の家に泊まってご迷惑をかけたので、今日は私にごちそうさせて下さい」
「迷惑かかってないよ。むしろ、藍沢さんのおかげで楽しかった」

 ニコッと先生が口角を上げる。

「私、カレー食べて、ビール飲んで、後片付けもせずに寝ちゃったんですよ」
「そういうのが楽しかったよ。一人暮らしだから、偶には誰かの気配を感じたくなるんだ。安心感みたいなものが欲しくなるんだろうな」

 わかる気がする。一人暮らしをしていた時、寂しくて堪らなくなったことがある。だから、加瀬さんが家に泊まっていった時は安心できた。

「でも、今日は私におごらせて下さい。一宿一飯の恩を返さないと気が済みませんから」
「藍沢さんは律儀だね。じゃあ、行きたいところがあるんだけどな」

 先生がそう言って、悪戯を企むような笑みを浮かべる。

「どこですか?」