「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

「そうだよ。だから誕生日ケーキとかいらないから」
「本当にいらないの?」

 母が名残惜しそうに聞いてくる。

「いらない。帰りは遅くなるから。帰って来てからケーキってわけにはいかないでしょ」
「わかったわよ。あ、洗濯物干しといてね」
「了解」

 ようやく母がダイニングキッチンから出て行く。それから五分も経たない内に玄関から「いってきます」という元気な声がした。

「いってらっしゃい」とダイニングキッチンから玄関に向かって返し、ヨーグルトとコーヒーだけの簡単な朝食を食べる。その後は父と母と私の三人分の洗濯物を干した。
 誕生日だとは思えないくらいいつもと同じ朝。でも、そんな朝がありがたい。

 大学のデザイン学科を出た私は東京のデザイン制作会社に就職した。デザインの仕事にやりがいを感じ夢中になった。任される案件がどんどん責任あるものになり、気づけば大手広告代理店からの重要な案件を引き受けるようになった。しかし、その仕事で失敗をして、自分の未熟さを痛感した。それからは必死に勉強した。そんな私の意気込みを上司だった高坂さんが認めてくれて、指導してくれるようになった。