「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

「ちょっと待ってよ。あなたこそ、勘違いしているじゃない。私はお願いがあって声をかけたのよ」
「お願い?」

 眉を寄せて赤井さんを見ると、「とりあえず座ってよ」と言われた。
 渋々座ると、赤井さんが名刺を私の前に置いた。

【プロデューサー】という肩書を見て、ハッとする。

「私、制作会社で、ドラマを作っているの。春希とは何作も一緒にドラマを作って来た仲なの」
「そうだったんですか。でも、なんでドラマ作っている人が初心者講座に?」
「春希を口説くためよ。彼にどうしても脚本を書いて欲しいの。初心者講座に通えば週一で春希に会えるでしょ?」

 シナリオ講座に通ってまで先生に脚本を書いてもらいたいとは、すごい執念。でも、先生は仕事がなくなって、講師をしているわけじゃないんだ。そのことがわかって何だかほっとした。

「そうだったんですか。てっきり先生の恋人なのかと思ってました。勘違いしてすみません」
「春希と恋人だったこともあるけどね。でも、それは随分昔。私、結婚しているから」

 赤井さんから見せられた左手の薬指にはシルバーのリングがあった。
 私とそう年齢が変わらなそうなのに、プロデューサーの仕事をしていて、結婚もしている赤井さんが輝いて見える。