「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

◆◆◆

 響子を駅まで連れて行くと、思いっきり不機嫌な顔をされた。

「春希の家に連れて行ってよ」
「嫌だ。帰れ」
「邪魔したから怒ってるの? さっきの誰? 春希の彼女?」

 藍沢さんのことに全く気づいていない響子に苦笑が浮かんだ。
 俺のシナリオ講座の生徒だと言ったら響子はどんな顔をするんだろうか。

「そんなことより、話ってなんだよ?」

 改札前のベンチに腰を下ろした。
 藍沢さんのペースに合わせて飲んでいたが、少々、飲み過ぎた。やはり彼女は酒が強い。顔色一つ変えずに飲んでいた。

「ここでするの?」

 俺の前に仁王立ちになる響子が眉を上げる。

「ここしかないだろう」
「だから、春希の家に連れて行ってよ」
「泊まってくつもりだろ?」
「うん」
「また旦那とケンカしたのか?」

 響子が気まずそうな顔をする。

「私のことはいいの。それより大事な話があるの」
「大事な話って、どうせ仕事の話だろ?」
「なんでわかったの?」
「響子が俺に大事な話があるという時はいつも同じだから。俺の答えはわかっているだろう?」

 響子がぶすっとする。

「もう半年経つよ。いい加減仕事しなよ。小早川春希の脚本をみんな待っているんだよ」
「仕事してるだろ」
「カルチャースクールで素人にシナリオ教えるのが仕事なの?」
「そうだよ。今の俺の仕事だ。それに俺は楽しんでやってる」
「いつまで逃げてんの?」

 響子の言葉が胸に突き刺さる。

「俺がどこでどうしようと響子には関係ないだろ」
「ある! 私は小早川春希のファンなんだから」

 そう言うと、響子はいきなり改札の方に駆けて行った。

「全く、唐突な奴だ」

 改札を通った後も響子は俺の方を一度も振り返らずホームに降りていった。