「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

　先生に会った次の日は仕事で都内に出た。
　今日は新築マンションでの引っ越し荷物の開梱作業で、大塚さんではない、他のお手伝いサービスの人と一緒に現場に入った。
　お客様の部屋のインターホンを押すと、私と同年齢くらいの整った顔立ちの女性が出て来た。腕には赤ちゃんを抱っこしていて、生後二ヶ月だと教えてもらった。ものすごく小さくて可愛らしかった。

　赤ちゃんのいるお宅は大変そうだけど、家中に幸せオーラを感じて、何だかこちらまで幸せな気持ちになる。
ほのぼのとした気持ちで作業をしていたのは、【リビング小物】と書かれた段ボールを開ける前までだった。その段ボールから出て来た写真を見て凍り付いた。

　その写真はウェディングドレス姿の奥様と、隣に映るタキシード姿の男性が映っていた。当然、ご主人だと思うが、元恋人の加瀬さん似ている。いや、似ているレベルじゃない。お客様の名前は杉村さんだったけど、おそらく加瀬さん本人だ。結婚して奥様の苗字になったのだろう。そうだとしたら、加瀬さんは私との交際中に奥様を妊娠させたことになる。奥様と私のどっちが先に加瀬さんと交際したかは知らないけど、二股だったのは確かだ。

　今すぐこの場から逃げなければ。幸い加瀬さんはいないけど、いつ現れるかと思うと気が気でない。すでに別れているけど、奥様と交際期間が重なっている。そのことがバレたら、家庭を壊してしまうかも。それは嫌だ。赤ちゃんがいる平和な家庭を壊したくない。

　どうか神様、加瀬さんが帰って来ませんように。そう思いながらいつもよりも手早く作業をした。そして、荷物が全て片付け終わり、奥様に終了のサインをもらって帰ろうとした所で、「ただいま」という加瀬さんの声が玄関からした。

　ああ、全てが終わった。