「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

 最低限のメイクをしていて良かった。服は五年もののボーダー柄のカットソーにジーンズで、少々よれっとした服装だけど、私の中ではギリギリセーフ。

「あ、はい。こんにちは」

 私から先生に近づき、挨拶をした。

「こんにちは」

 爽やかな笑みを先生が浮かべる。

「お近くにお住まいなんですか?」
「はい。市内です。先生もですか?」
「うん。僕も同じ市内。実は最近引っ越して来て」
「そうだったんですか。私も最近というか、半年前に実家に戻って来て」

 実家に戻って来たことは少し余計だったかも。

「僕は半月前。じゃあ、藍沢さんの生まれ育った街なんですね」
「まあ、そうですね」

 そう相槌を打った時、周囲から威圧的な視線を向けられる。
 おじさんが迷惑そうに私と先生を見ていた。私たちの話し声がうるさかったのかも。ここは図書館。静かにしなければ。

「あの、失礼します」
「はい。また」

 先生が会釈をしたので、私も会釈して、近くの棚に足を向けた。
 はあー驚いた。こんな偶然があるんだ。先生、同じ市内だったんだ。

 棚からちょっとだけ顔をだして、なんとなく先生の後ろ姿を追うと、先生はカウンターで本を借りていた。残念。もうお帰りになるのか。もう少し先生と話してみたかったな。そう思った自分にハッとした。

 気になるのは半年前の海浜公園でのことがあるからよ。別に異性として興味があるわけじゃないし、もう恋愛なんてこりごりなんだから。そう自分に言い訳をし、私は目当ての創作関連の本が置いてある棚に向かった。