「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

 午後七時丁度になり、後ろのドアからワイシャツとグレーのスラックス姿の小早川先生が入って来た。前の席の女性たちが先生の登場に華やいだ声をあげた。

 彼女たちは小早川先生目当てなのだろう。まあ、私も似たようなところはあるけど。

「初心者講座の第一回目の講義を始める前に、今日は出席を取らせて下さい。呼ばれた方は一言シナリオを習おうと思った動機も教えていただけると嬉しいです」

 そう言って先生が名簿に視線を落とし、名前を呼ぶ。

「藍沢美桜さん」

 一番最初だと思っていなかったからドキッとした。

「あ、はい」

 返事をすると、先生が私に視線を向ける。

「最初ですみません。名簿の先頭だったもので。あの、簡単でいいので志望動機などをお聞かせ下さい」

 申し訳なさそうに私を見る先生を見て、少し緊張が解れた。

「えーと、シナリオを習おうと思った動機は、何か新しいことを始めてみたいと思ったからです。あの、三ヶ月間よろしくお願いいたします」

 会釈すると、先生が「よろしくお願いいたします」と返し、拍手をしてくれた。それに続くように周りの生徒達も拍手をした。拍手をされることがほとんどないので、ちょっと照れくさい。

「次は赤井響子(あかいきょうこ)さん」

 前の席に座っていた女性が立ちあがる。
 背が高くスタイルのいい人だ。

「小早川先生の作品が好きだからです」

 堂々と言い放った言葉からは強い気持ちを感じられた。

「そうですか。それはありがとうございます」
「先生の新作が見たいです」
「講座とは関係ない話はご遠慮ください」

 赤井さんは先生にまだ何か言い足そうだったけど、渋々という感じで席に座った。なんだか先生と赤井さんの間に生徒以上のものを感じて、少しだけもやっとした。