「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

「どうぞ、どうぞ」

 モスグリーンのワンピース姿の大塚さんが私の右側に腰を下ろした。

「藍沢さんも木曜日にしたんだ」
「はい。土曜日は仕事が入りそうなので」
「そうよね。引っ越しって土日が多いものね」

 そう言いながら大塚さんがリュックから筆記用具を取り出す。私もそれに倣い、ショルダーバッグからノートと筆記用具を取り出した。

「なんかわくわくするね。教室で勉強するのって久しぶり」
「私も。大学生の時以来かも」
「大学か。私はもう遠い昔だな。そう言えば、藍沢さんは大学で何を勉強したの?」
「デザインを少々」
「デザインって建築とか?」
「いえ。私はグラフィックデザインの方を」

 大塚さんが不思議そうに首を傾げる。おそらくピンと来ていない。

「えーと、パンフレットとかカタログとかポスターのデザインです」
「そうなんだ! ああいうのグラフィックデザインっていうんだ。藍沢さんのおかげで一つ賢くなれたわ」

 そんな風に言える大塚さんがすごいと思った。
 私だったら知らないことを恥ずかしいと感じるのに、全く大塚さんはそういう所がない。そんな大塚さんといるのは安心する。