「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

 天気のいい日曜日、三歳になったばかりの(のぞむ)を連れて、海浜公園にやって来た。
 浜辺に出た途端、勢いよく走りだす希を春希さんが追いかける。はしゃぐ希の声が辺りに響いていた。
 私はベンチに座り、波打ち際で追いかけっこをする二人を見ていた。

 春希さんと結婚して四年になる。

 今は自宅が春希さんとの共同事務所で、春希さんは脚本家の仕事をして、私はグラフィックデザインの仕事をしている。
 最近は春希さんのおかげで、映画関係の印刷物の仕事が増え、ほどほどに忙しい。

 今日は仕事の区切りがついたので、久しぶりに希を連れて遊びに来た。海浜公園内にはアスレチックや、水鳥が住む池もあるので、ここに連れて来るといつも希は喜んでくれる。

「ママ!」

 希が私に向かって小さな手を振っていた。

「はーい! ここにいるよ!」

 私も息子に手を振り返す。
 希は春希さんによく似ていて、保育園でもイケメンですねなんて、保育士さんに言われている。私もそう思う。

「あなたもパパに似るかな」

 まだ性別がわからないお腹の中の子どもに話しかけていると、春希さんと希がこっちに来た。

「ママ、あげる」

 希がくれたのは貝殻だった。

「希、ありがとう」
「さっきパパがね、ママ大好きって言ってた」

 可愛い告げ口に頬が緩む。

「ママもパパが大好きよ」

 希のそばに立つ、春希さんが照れくさそうな顔をする。

「希、アイス食べるか?」

 希の視線に合わせて、屈んだ春希さんが言った。

「あんまり大きいのはダメよ。希はお腹弱いだから」
「はいはい。わかりましたよ。美桜はイチゴソフト?」

 さすが春希さん。私の好みをよくわかっている。

「うん」
「じゃあ、希行くぞ」

 春希さんが希を肩車する。

「わーおっきい!」

 希は春希さんの肩車が大好きだ。

 キッチンカーに向かって歩く二人の後ろ姿を見ながら幸せでいっぱいになった。
 まさか私が結婚して、お母さんになるとは思わなかった。全部、春希さんのおかげだ。

 絶望的な夜に出会った春希さんは私に沢山の勇気と幸せをくれた。
 世界一不幸だと思っていた私は、今は世界一幸せだ。

 優しい潮風を頬に受けながら、ありがたい気持ちが溢れて来た。