「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

 運転代行を頼むつもりだったが、車を取りに行くのも面倒で、俺は何も買わずにタクシーで帰宅した。そんな所に響子から連絡があり、頼んでいた資料をこれから持っていくと言われた。そして、電話から一時間後に俺の家に現れた響子はずぶ濡れだった。

 急に雨が降って来たとワーワーうるさく言う響子を風呂に入れ、俺は響子が持って来た資料に目を通した。再びインターホンが鳴った時、電話していたので、すぐに出られなかった。

 響子が玄関で誰かと話している声がしたので、電話を終えた俺は階段を下りながら、響子に聞いた。

「響子、誰か来たのか?」

 俺の声を聞いて、玄関から飛び出す藍沢さんの姿が見えた。
 さらに外で大きな物音が聞こえ、藍沢さんの身に何かあったのではと心配になり、俺は外に出た。藍沢さんが倒れた自転車を持ち上げ、乗ろうとしていた。その姿を見て、行かせてはいけないと思った。俺は彼女の腕を掴み、引き止めた。

 外灯に照らされた藍沢さんの顔が、スーパーで一緒だった時とは別人のように弱々しくて、胸を突かれた。