「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

 藍沢さんに彼女のことを話していたのをすっかり忘れていた。それくらい、あの彼女のことは思い出さなくなっていた。今、俺の心を占めているのは藍沢さんだ。

 まだ告白はできないが、俺はシナリオを書き始めたことを藍沢さんに伝えた。書き上がったら、読んで欲しいと言おうとした所で、藍沢さんは泣き始めた。そして、自分のことを「中途半端」だと言った。

 藍沢さんも俺と同じなのだと思った。デザインの仕事のことで揺れる彼女を見ていたら、愛おしくて堪らなくなった。誰もいない場所だったら、俺は躊躇うことなく抱きしめていただろう。

 一緒に酒を飲みながら、前よりも藍沢さんを好きになっていると感じた。俺の前で素直な感情を見せてくれる彼女が愛しかった。

 彼女を帰したくて、どんな口実で今夜は引き止めようかと考えていた時、新規の客が入って来て、急に彼女が壁の方を向いた。

 理由を聞くと、知り合いが入って来たようだった。それで居酒屋を出ることになり、彼女はコインパーキングで待っていると言って、先に出て行った。その言葉が嬉しかった。まだ彼女と一緒にいられると思いながら、店を出て、彼女が待つコインパーキングに行き、宅飲みを提案するとスーパーに買い出しに行くことになった。そこで彼女の母親と遭遇したのは驚いた。

 母親は彼女に似た可愛らしい顔立ちをした人だった。彼女が母親の前で気まずそうにしていたので、宅飲みはやめた方がいいと判断し、俺は立ち去った。