「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

 午後七時。

 水色のカットソーと紺色のワイドパンツに着替えた私は大塚さんと一緒にシナリオ教室の体験講座に参加していた。大塚さんはベージュ色のゆったりとしたワンピースを可愛く着こなしていた。
 
 もう少しちゃんとメイクをしてくれば良かったと大塚さんを見て思う。アイシャドウとマスカラまで付けている大塚さんは私より女子力が高い。仕事の時は大塚さんも私と同じようなメイクだったけど、普段はちゃんとしているようだ。

「いろんな人が来ているね」

 そう言って大塚さんが教室を見まわす。
 教室にいるのは二十名ほどの生徒で高校生くらいの若い子から白髪のおじいちゃんまで参加している。やや女性が多い印象だ。

 後ろのドアからワイシャツとグレーのスラックス姿の長身の男性が教室に入って来て、教壇の前に立った。

 男性は卵型のシャープな輪郭に目鼻立ちの整ったキリッとした顔立ちで、眼鏡をかけていた。
 その顔を見た瞬間、激しい衝撃が全身を駆け巡る。

 ――彼だ。

 眼鏡をかけていて少し印象が違うけど、半年前、私に『逃げていいんだよ』と言ってくれた彼だ。

「こんばんは。体験講座を担当する小早川春希(こばやかわはるき)です」

 温かみのある低め声を聞いて確信した。やっぱり彼だ。
 あれほど会いたかった彼とこんな場所で会えるとは夢にも思わなかった。