「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

 父が帰宅したのは、午後九時過ぎだった。そして、帰ってくるなり横暴なことを言われる。

「美桜、高坂さんの所、嫁に行け」

 私の部屋に入ってくるなり、父が言う。
 眉根を寄せ、父を睨んだ。

「はあ? 何言ってるの? 高坂さんなんてありえない。あの人はね、私を追い込んだ人なんだよ!」

 そう叫ぶと、母も二階に駆けあがって来た。

「お父さん、なんで美桜のところに」

 母が父を止めようとする。

「年頃の娘がいつまで実家にいるつもりなんだ? お父さんは美桜が心配なんだ。仕事で失敗したんだったら、嫁に行けばいいだろう。高坂さんは美桜を気に入っている。あの人は美桜を大切にしてくれる。高坂さんと一緒なら美桜はきっと幸せになれる。お父さんは今夜、高坂さんと飲んでいて、そう確信したんだ」

 勝手なことを並べる父に頭に来た。
 普段大人しい父だけど、偶に酔うと自分の価値観を押し付けてくる。酔っている時は話さない方がいい。

「私が家にいるのが迷惑なのね。わかった。出て行く」

 ショルダーバッグを掴んで、部屋を出て行こうとしたら、父に腕を掴まれた。

「そうじゃない。迷惑だと言ってるんじゃない。ただ高坂さんがいい人だから、結婚したらどうだと言っているんだ! 美桜一人くらい食べさせていく収入はあるし、持ち家もあるし、何より美桜を欲しいと言ってくれたんだ。こんないい話、逃したらもう二度とないぞ! 女は結婚するのが一番なんだ」

 父の腕を思いっきり振り払う。
 酔っ払いの戯言だとはいえ、私の気持ちを無視して、決めつける父が許せない。