「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

「先生、赤井響子さんが先生にドラマのシナリオを書いて欲しいって言ってました」

 藍沢さんから響子の名前を聞くとは思わなかった。

「響子に頼まれたのか」
「はい」

 藍沢さんの前で弱い自分を見せたくないと思っていた。だから、なぜシナリオ講師をすることになったのかと聞かれた時、俺は誤魔化した。でも、好きなものがわからなくなってデザインの仕事を辞めたと打ち明けてくれた藍沢さんに、自分の弱さを隠すのは誠実じゃない気がした。だから俺は正直に仕事がなくなったことを話した。

 カッコ悪い姿を見せて、藍沢さんに失望されるかと思ったが、藍沢さんの行動は俺の想像を超えていた。

「先生、良かったら」

 体ごと俺の方を向いた藍沢さんが両腕を広げた。

「え?」

 意図がわからず首を傾げると、藍沢さんは恥ずかしそうな表情で口にした。

「私が落ち込んでいた時、抱っこしてくれたでしょ? 今日は私がしてあげます。嫌じゃなければ。あ、でも私、今日引っ越しの仕事して来たんだった。服もそのままだし。汗くさいかも」

 彼女の優しさに感動して、俺は力いっぱい抱きしめた。藍沢さんは小さくて、柔らかくて温かかった。その温もりに泣きそうになり、俺は誤魔化すように彼女の肩に顔を埋めた。心の底からほっと出来た。そして、自分の気持ちに気づいた。俺は藍沢さんが好きだ。