「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。

「藍沢さんって、いい匂いするね」

 くんくんと先生の鼻先が私の首に触れた。

「そ、そうですか……」

 仕事が終わった後に使った制汗スプレーの匂いだろうか。確か桃の香りだった。

「なんか安心する。藍沢さん、ちっちゃくて温かくて、猫みたい」

 猫……。なんか嬉しいような、嬉しくないような気がする。

「先生に安らぎを提供できて良かったです。でも、私が抱っこされているようなのですが」
「俺、抱っこされるよりも、抱っこする方が好きだから」

 すぐ耳元に先生の声が響いて、さらに鼓動が速くなる。この状態は嬉しいけど、落ち着かない。今、私の顔はきっと真っ赤になっている。こんな顔、先生に見せられない。心臓がばっくん、ばっくん、打っている。

「ずっとこうしててもいい?」

 先生の声がいつもより甘い気がする。そんな先生が可愛い。

「は、はい」
「ねえ、お母さん、なんで大人なのに抱っこしているの?」

 子どもの無邪気な声がして、ドキッとする。

「仲良しなのよ」

 お母さんらしき人の答えを聞いて、かあーと全身が熱くなる。

 よく考えれば、ここは屋外。しかも日曜日の海浜公園。クッキングカーが出る程、人が集まっているんだった。

「先生、ちょっと、この辺で」

 私は先生の胸を押して強引に抱っこを終わらせた。

「もうおしまい?」

 先生が不服そうな顔をする。

「だって、人目がありますから」
「誰もいない所だったらいいの?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべた先生が、妙にセクシーでまたドキリとする。

「今日の抱っこは終わりです」

 先生から距離を取るように立ち上がると、先生の手が私の腕を掴んだ。

「なんですか?」
「抱っこのお礼に美味しいプリンアラモードをご馳走してあげようと思って」

 プリンアラモード! なんて素敵な響きなの!

「お姫様、お連れしますよ」

 先生も立ち上がると、すごく自然に私の手を繋ぐ。抱っこの時の緊張が再び襲って来て、心拍数が爆上がりする。

 先生と手を繋ぐのは初めてではないのに、恋していることを意識したら、平気でなくなる。好きな人の手の感触に心臓が熱くなる。