◇
夕飯をテーブルに並べて、ラグに腰を下ろすと、二人同時に、温泉にでもつかったような声が出てしまった。
「悠輝、来てたんだろ?」
「やっぱり、分かります?」
「あいつの作りそうな料理もあるからさ。ほら、一緒にしそうにない具材が二つ」
コンニャクとモッツァレラチーズのピリ辛煮だ。
夏バテを解消して食欲の秋に備えるためのお料理らしい。
「合わせる顔がないからって、レイナさんを送っていくついでに帰っちゃいました」
「なんだ、レイナも来てたのか」
「アテンドできなくて、オコンネルさん怒ってました?」
蒼也が軽く吹き出す。
「翠が駄洒落言うなんて珍しいな」
「ち、違いますよ。レイナさんが心配してたんです」
「べつに問題なかったぞ。東京駅から一人で電車に乗ってホテルに帰ったよ」
「大丈夫なんですか?」
すごい資産家なんですよね。
「一人で出歩いても誘拐の心配がないから、日本に来ると安心しすぎて頭が空っぽになるらしい。日本の街は禅寺みたいだってご機嫌だったよ」
蒼也は悠輝の料理を口に運んだ。
「悔しいけど、うまいな」
「私のはどうですか?」
「もちろん、うまいよ。特にこのきゅうりの……」
蒼也の箸にはつながった輪切りがぶら下がっていた。
「あ、それは……」
「面白いアレンジだな」と、蒼也の箸が止まる。「翠」
――え?
「ほっぺに赤いのついてる」
え、また……。
自分でペロッとなめると、舌先に激痛が走る。
「か、からっ……唐辛子でした」
「なんだよ、俺がペロってしてあげたのに。もう一回、やり直し」
「嫌ですよ」
唇をとがらせる翠を蒼也がからかう。
「せがんでるのか? キスは食後のデザートでいいだろ」
「はいはい、おかわり自由ですよ」
食事を終えたところで、蒼也が立ち上がった。
「今日はお土産があるんだ」
なんだろ。
話題のスイーツかな。
期待しながら翠が姿勢を正すと、蒼也が《極薄0.01mm》と書かれた箱をテーブルの上に置いた。
「誤解されないように、ちゃんと買ってきたよ」
――あ、ああ……はい。
あらためて目の前に出されると恥ずかしい。
「いっぱい……ありますね」
「すぐになくなるよ」
え、ちょ、な、何言ってるんですか。
「だって、おかわり自由って言ったじゃないか」
「そ、それは……」
真面目な顔して迫られると、困っちゃうんですけど。
テーブルを片づけ、玄米茶を入れて、ソファを背もたれにして二人並んでくつろぐ。
話は自然と、宿題になっていた新婚旅行の相談になった。
「今からだと、長期休暇が取れるのは、だいぶ先ですけど年末年始ですよね」
「クリスマスマーケットの季節だな。うちのじいさんが学生時代にいたバーゼルは歴史のある街だからきっといい雰囲気だろうな」
「いいですね。約束も果たせますね」
「ああ、そうだな」と、感慨深げに蒼也が天を見上げる。
ときおり夫が見せる、そんな少年のような表情に翠の視線が引き寄せられる。
「ん、どうした?」
「え、何がですか?」
はぐらかしたものの耳が熱くて、翠は湯飲みで顔を隠した。
蒼也は穏やかな笑顔で前のめりになると、何もないテーブルの上で、折り紙を折る仕草を始めた。
「ここに幸せがある」
「見えますね」と、翠もじっとその手の中を見つめた。
「だろ」
寄り添う二人の距離が近づき、唇が触れ合う。
形なんかない、だけど、そこにある。
二人の交わすキスがその確かな証だった。



