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須垣の車は工業地帯の港へ向かっていた。
幅の広い道路にはトラックは通るが、人通りはまったくない。
想定外の展開に内心の動揺を押し隠しつつ、翠は冷静にたずねた。
「どこに行くんですか?」
「俺は御更木の信用を地に落として踏み潰してやろうと思っていた」
須垣の声は冷たく、だが危険な熱を帯びていた。
「蒼也さんの夢は力でねじ伏せることなんてできませんよ。私が支えてみせますから」
「だから、あんたをあいつから奪い取ろうと思ったんだ」と、須垣は両腕を伸ばしてステアリングを握り直す。「だが、気が変わった」
目の前が開ける。
海だ。
埠頭には巨大なコンテナ船が停泊している。
目的地のホテルからはかなり離れている。
動揺の色を隠せない翠の顔を須垣が満足げにのぞき込む。
岸壁すれすれを車が疾走する。
助手席の窓のすぐ下で油で濁った海が揺れている。
「と、止めてください」
「そっちからは出られないぞ」と、須垣が急ブレーキを踏む。「ここであんたをねじ伏せてやってもいいんだぜ」
おどしにひるまず翠は声に力をこめた。
「あなたが暴力でねじ伏せても、私たちの愛は壊せませんから」
「旦那はそう思ってないだろうよ」
「私は蒼也さんを信じてます。蒼也さんだって私を愛してくれています」
須垣はステアリングに腕を乗せ、上体を預けながら翠に顔を向けた。
「そういうあんたの純粋さが俺をイラつかせるんだよ。俺だって、あんたが俺のものになれば、永遠に守ってやるのにな」
「私は純粋じゃありません」と、翠は声を張った。「私だって、蒼也さんを疑ったことはありますよ」
虚を突かれたような表情をした須垣が顔を赤らめながら視線をそらす。
「蒼也さんが他の女性とつきあってるんじゃないかとか不安になったこともあるんです。でも、誤解したのは私だから、その誤解を解消するのも、自分の責任だって気づいたんです。信じられない心は私自身の弱さですから」
「哲学の話はよせよ」
「進化論の話をする約束だったじゃないですか」
「そんなでまかせ、ちゃんと覚えてたんだな」と、須垣が笑う。「俺も忘れてたのにさ」
――嫌われるとよけい欲しくなる。
逃げる獲物を追い詰め、組み伏せる。
蒼也とは真逆の遺伝子を持つ男と向き合っているのに、翠はもうおびえてはいなかった。



