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感情のままに飛び出してきたものの、翠には行くあてなどなかった。
夕暮れの時間帯になっても気温はまだ三十度を下らず、街路樹の日陰を選んで歩いていても汗が噴き出してくる。
ただ、汗を拭くふりをしながら涙をぬぐえるのがありがたかった。
蒼也からメッセージは来たが、開ける気にならなかった。
悠輝からも何度かメッセージが送られてきたものの、おそらく蒼也から頼まれたのだろうと、放置しておいた。
頭がのぼせたようにぼんやりしてきて、道路脇の緑地に置かれたベンチに腰掛けたところで、またスマホが光る。
――お父さん?
《元気にしてるか? 父さんは夏風邪引いちゃったよ。遅れてきた夏バテかな。歳のせいとは言わないでくれよ》
――へえ、風邪引いてたんだ。
そういえば、お父さん、大学が休みになると気が抜けるのか、春はインフルエンザ、夏は頭痛で寝込んでたときが多かったな。
何か体力つけるものでも食べさせなくっちゃ。
果物を買って実家へ向かうと、玄関前にいたのは悠輝だった。
「なんでここに?」
口をとがらせる翠に、悠輝が直角に腰を折って謝罪する。
「だましてごめん。僕にも返信がないから、蒼ちゃんからお父さんに連絡を頼んだんだ」
ちょっとやつれた表情の父が顔を出して二人の間を取りなす。
「だましたわけでもないよ。具合が悪くて食欲がなかったのは本当だからね。父さん、女の人に嘘はつけないんだ。母さんには結婚前に一度だけだまされたことあるけど」
「え、あるの!?」「あるんですか!?」
二人とも話の流れなど放り投げて食いついてしまった。
父は頭をかきながら笑っている。
「大きな書店で買い物しようって誘われて出かけたら、おしゃれな服屋さんに引っ張り込まれてね。あれこれ試着させられて、本代が全部服に化けたよ。ほら、父さんそういうセンスゼロだろ。よっぽど気になったんだろうね」
――なんの話よ。
そんなことだろうとは思ったけどね。
だけど、空気を読まないのろけ話のおかげで高ぶっていた気持ちが鎮まり、翠は果物を父に押しつけると、悠輝と二人で応接間に上がって話を聞くことにした。
ソファに腰掛けると、悠輝は単刀直入に話を切り出した。
「蒼也のポケットに入っていたあれを入れたのは僕なんだよ」
「そう言ってくれって頼まれたんでしょう。親友だから庇ってるんですよね」
上体を前のめりに起こして悠輝が手を両手を振る。
「違うってば。あれは本当に僕のなんだって。あのパッケージ、水色がかった銀色で、極薄0.01mmって書いてあっただろ」
「まあ、そうだったような気がしますけど、だから、そんなの証拠にならないじゃないですか。蒼也さんが前から使っていたのを見て知ってただけかもしれないんだし」



