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会話のないままマンションに戻ってきた翠は、部屋に入ると引き出しから結婚指輪の箱を取り出した。
「こんなのもういりません」
「何を言うんだ」と、蒼也は翠の手を握って押しとどめる。
「それに、これも……」と、箱を開け、台座の下にしまっておいた宝物を取り出した。
ミサラギホテルのマークがついたお子様ランチの旗だ。
翠はそれをくしゃくしゃに握りしめてゴミ箱に投げつけた。
「翠……」
拾い上げた蒼也が丁寧に広げるが、折れた爪楊枝の旗竿だけは元に戻らない。
「ずっと大切にしていてくれたのか」
「ただのゴミです」
退屈していた翠を冒険に連れ出してくれたあの日のトム・ソーヤなんて、もうどこにもいないのだ。
だが、折れた旗を翠に握らせ、蒼也がさびしそうにつぶやく。
「ゴミなんかじゃないさ」
スーツの内ポケットから財布を取り出した。
「笑われるかと思って、隠してた」
きれいなままのもう一つの旗が翻っている。
「蒼也さんもそれを……」
「翠だと思ってずっと大事にしてたんだ」
二本の旗を見つめる二人の心に淡い思い出がよみがえる。
手を引いて庭に連れ出してくれた蒼也。
エサに群がる鯉におびえる翠を支えてくれた蒼也。
チャペルで誓い合ったあの日の私たち。
今でもちゃんと目の前にいるのに、どうして心が震えてしまうんだろう。
翠は涙をこぼしながら蒼也の胸に飛び込んだ。
「ごめんなさい」
「いいんだ」と、蒼也が背中を撫でる。「あやまらないでくれ。翠は悪くないんだ。何度もこんな失敗を繰り返す俺がいけないんだから」
背中から髪へと蒼也の指が絡んでいき、額にキスを落とす。
頬を撫でた指が翠の顎を上げ、揺れる瞳をじっとのぞき込む。
絡み合う吐息をふさいで重なる情熱的なキスが翠の不安を溶かし、こわばっていた体を雪解け水がじわりと潤していく。
――知りたい。
まだ知らないあなたを。
刻みつけてほしい。
まだ知らない私に。
翠は自分から蒼也の背中に腕を回し、キスを返した。
「他の誰かに奪われないように、ちゃんと蒼也さんの印をつけてください」



