「俺はね、嫌われるとよけい欲しくなるんだ。それが男の本能だろ」
――本能?
「逃げる獲物を追う。追い詰め、組み伏せ、犯す。そういう快楽を重ねた男だけが遺伝子を残してきたんだ」
無駄をそぎ落とした細身の体から繰り出される強引な力に翻弄され、危険な匂いに全身の血流が沸騰する。
逃げなきゃ。
頭ではシグナルを発しているのに、体がこわばって動けない。
――蒼也さん!
翠はかろうじて片手を相手との間に挟んで最低限の距離を保ちつつ、愛する男を探していた。
音楽が止み、拍手の嵐が収まり、ようやく会場が落ち着きを取り戻す。
「翠!」
体当たりしながら蒼也が割って入り、須垣の手を払う。
「私の妻に何をしている」
「御更木……」と、目を細めた須垣が悪びれずに手を離した。「人妻っていうのは本当だったらしいな」
ニヤける男の視線を遮るように蒼也は翠の震える肩を抱く。
「大丈夫か」
返事の代わりに翠はスーツの袖を握りしめた。
「進化論の続きはまたな」と、須垣は片手を上げて背を向けた。「じっくり教えてやるよ」
その後ろ姿をにらみつけていた蒼也が翠と向き合い、両肩をつかむ。
「あいつと何の話をしてた?」
「なんだったかな」と、翠は首をかしげた。「なんてことない話」
「隠すことないだろ」と、蒼也が翠の肩を揺する。「何をされた?」
「べつに隠してなんかいません。本当にただの時間つなぎの話で、覚えてないんです」
――だって、怖かったから。
涙がこみ上げてくる。
どうして怒られなきゃならないの。
私は何も悪くないのに。
私を一人にしたくせに。
私のことなんか放っておいたくせに。
そんなに独占したいなら私を抱きしめておけば良かったじゃない。
首輪でもつけて鎖につなげておけばいいのよ。
「蒼也さんには関係ないでしょ」
強い言葉を吐いてしまい、感情の波紋が涙腺を刺激する。
こらえていた堤防が決壊し、頬が濡れる。
「翠……」と、つかむ手の力が増す。
「痛いです。離してください」
「す、すまない」
口をとがらせても、かわいいとは言ってくれない。
叫び出したい衝動をこらえながら翠は蒼也の胸に倒れ込んだ。
力なく抱きとめる夫にもたれながら翠は子どものように泣いていた。
と、会場に配置された企業ロゴのオブジェが光を放ったかと思うと、一気に弾け飛んで驚嘆の声が上がる。
イリュージョニストのパフォーマンスが始まっていた。
人々の視線がステージに向く中、蒼也が翠の手を引いて出口へ向かう。
「帰ろう」
言われるままに引きずられながら翠は蒼也についていった。
――もういい。
もう、どうでもいい。
こんなのもう、終わりにしちゃえばいいんだ。
――本能?
「逃げる獲物を追う。追い詰め、組み伏せ、犯す。そういう快楽を重ねた男だけが遺伝子を残してきたんだ」
無駄をそぎ落とした細身の体から繰り出される強引な力に翻弄され、危険な匂いに全身の血流が沸騰する。
逃げなきゃ。
頭ではシグナルを発しているのに、体がこわばって動けない。
――蒼也さん!
翠はかろうじて片手を相手との間に挟んで最低限の距離を保ちつつ、愛する男を探していた。
音楽が止み、拍手の嵐が収まり、ようやく会場が落ち着きを取り戻す。
「翠!」
体当たりしながら蒼也が割って入り、須垣の手を払う。
「私の妻に何をしている」
「御更木……」と、目を細めた須垣が悪びれずに手を離した。「人妻っていうのは本当だったらしいな」
ニヤける男の視線を遮るように蒼也は翠の震える肩を抱く。
「大丈夫か」
返事の代わりに翠はスーツの袖を握りしめた。
「進化論の続きはまたな」と、須垣は片手を上げて背を向けた。「じっくり教えてやるよ」
その後ろ姿をにらみつけていた蒼也が翠と向き合い、両肩をつかむ。
「あいつと何の話をしてた?」
「なんだったかな」と、翠は首をかしげた。「なんてことない話」
「隠すことないだろ」と、蒼也が翠の肩を揺する。「何をされた?」
「べつに隠してなんかいません。本当にただの時間つなぎの話で、覚えてないんです」
――だって、怖かったから。
涙がこみ上げてくる。
どうして怒られなきゃならないの。
私は何も悪くないのに。
私を一人にしたくせに。
私のことなんか放っておいたくせに。
そんなに独占したいなら私を抱きしめておけば良かったじゃない。
首輪でもつけて鎖につなげておけばいいのよ。
「蒼也さんには関係ないでしょ」
強い言葉を吐いてしまい、感情の波紋が涙腺を刺激する。
こらえていた堤防が決壊し、頬が濡れる。
「翠……」と、つかむ手の力が増す。
「痛いです。離してください」
「す、すまない」
口をとがらせても、かわいいとは言ってくれない。
叫び出したい衝動をこらえながら翠は蒼也の胸に倒れ込んだ。
力なく抱きとめる夫にもたれながら翠は子どものように泣いていた。
と、会場に配置された企業ロゴのオブジェが光を放ったかと思うと、一気に弾け飛んで驚嘆の声が上がる。
イリュージョニストのパフォーマンスが始まっていた。
人々の視線がステージに向く中、蒼也が翠の手を引いて出口へ向かう。
「帰ろう」
言われるままに引きずられながら翠は蒼也についていった。
――もういい。
もう、どうでもいい。
こんなのもう、終わりにしちゃえばいいんだ。



