平城京の導き ~古都の物語~

  二人が平城京の外へ出ると、田畑の合間にぽつぽつと農家が見え始めた。どの家も屋根が大きく崩れ、土壁が剥がれ落ち、無惨な姿をさらしている。今にも倒れそうな家が並び、道の脇には折れた柱や崩れた茅の束が散乱していた。
 家の前でどうしてよいか分からず、呆然と立ち尽くす人。体に傷を負い、血を流しながらうめき声をあげる人。あちこちから助けを求める叫びが響き渡り、耳を塞ぎたくなるほどに胸が締め付けられた。
「これは……なんて酷いことなの」
 安宿媛は目の前の光景に、血の気が一気に引いていくのを感じた。思わず両手で体を抱きしめると、震えが止まらず、冷や汗が頬から首筋を伝い落ちていった。
「死者も多く出ているようです。今後はさらに混乱が生じ、いつ騒動が起こるとも分かりません」
 真備は手綱を握ったまま、静かにそう呟いた。その顔にも、わずかに焦りの色が浮かんでいるように見える。
 二人の進む道も、ところどころで地割れが起きており、馬の歩みを慎重に進めなければならなかった。
 しばらくすると、僧侶たちの姿も見え、熱心に念仏を唱えては、この地の供養を続けていた。
「私の仲間が先に来ているはずです。ひとまず、そこに合流しましょう」
 真備はそう告げると、馬の手綱を引いて再び走りだした。
 しばらく進むと、前方に数名の人影が見えてくる。その姿を認めた真備は、彼らの前で馬を止めた。
「ああ、真備、よく来てくれたな」
「状況はどうだ?」
「酷い有り様だ。次々とけが人が運び込まれてくる。人手も足りず、物資も限られた分しか届いていない。これでどうにか持ちこたえている状態だ」
 彼らはそう伝えると、互いに視線を交わし、険しい表情を見せた。その顔には疲労の色がにじみ、ここでの厳しさがありありと伝わってくる。
 真備たちも、そんな彼らの様子を見て、思わず言葉を失った。国からの救済が、すぐには望めないことは明らかだった。
「そうか。ああ、この方は知り合いの貴族の女性で、ここの手伝いをしたいと名乗り出てくれた」
 それを聞いた学生たちは一瞬驚き、そろって彼女の方へ視線を向けた。
「まさか貴族のお方が来られるとは。だが女性のお力は大変ありがたい。本当に感謝します」
 そう言って彼らは、彼女に深く頭を下げた。こんな非常時でも礼節を失わない姿からは、真備と同じ志が感じられた。
「いえ、私はそんなお礼を言われるような者ではありません。とにかく……皆さん、一緒に頑張りましょう」
 それを聞いた彼らの間から、ふっと安堵の息がもれた。彼女のさりげない言葉が、彼らの気持ちを確かに勇気づけたようだ。
こうして一行は手分けして、農民たちの救助にあたることになった。

 男性たちは、壊れかけた家々の修理に取りかかり、家の下に埋もれてしまった人々の救出にも、懸命に取り組んだ。助け出された人々は皆、涙を浮かべながら彼らに感謝の言葉を伝えていた。
 一方、安宿媛は、怪我をした者の処置を手伝い、有志から届けられた水や食料を土器の椀に分けながら、竈で温かい粥を炊き、人々に振る舞っている。
 最初は農民たちも、貴族の娘がてきぱきと作業をこなしているのを見て、どこか困惑した様子を見せていた。
 だが、汗水を垂らしながら懸命に働く彼女の姿に心を動かされたのか、その人々の中からは、一人、また一人と彼女を手伝う者たちが現れはじめた。
(皆、こんな状況の中で、ひどく辛いはずなのに......)
 安宿媛は、そんな人々の働く姿に深い感動を覚えた。こんな状況の中でも、人は希望を失わずにいられるのだと。
 そうしていると、どこからか数頭の馬に乗った人々が駆け寄ってきた。
(あれは、お父さまに仕えている人たちだわ)
「安宿媛、不比等様からの使いで参りました。ご不便はございませんか?」
「ええ、私は特に問題はありません」
 どうやら不比等本人は来られないため、代理の者たちが派遣されたようだ。ほどなくして、不比等邸からの物資も一緒に届けらる。
 ここで、彼女が不比等の娘であることを知る者もいたが、学生たちも、手伝いに加わっていた農民たちも、誰ひとり彼女を特別視することはなかった。むしろ皆がこれまでと変わらぬ様子で協力し合い、作業に励み続けた。
 安宿媛は、そんな彼らの接し方が胸に染みるほど嬉しかった。皆が、自分を貴族の娘ではなく、一人の人として受け入れてくれたのだと思えたのである。
 彼女のそんな嬉しそうな様子を見て、真備がふと彼女に声をかけた。
「安宿媛、本当に良かったですね」
「ええ。私、生まれて初めて、人に必要とされた気がするの」
 それを聞いた真備は、思わず微笑んだ。まだこのあたりは慌ただしいが、どこかに小さな希望が見えはじめたように思える。