「入って」

当たり前のように促す遥風に、私はきょとんとして立ち尽くした。

「……ん、なんで?」

率直な疑問をこぼすと、遥風は不機嫌そうに眉を寄せた。

「なんで、って……お前、そのまま自室に帰るつもり?」

「え?」

遥風の問いの意図が分からなかった。

私がまた琥珀に襲われることを心配してるのかな。

「あの……別に、平気だよ。さっきのは私が煽ったのがいけなかったんだし、次からは気をつけるから」

ニコ、と安心させるように笑顔を作って言うと、遥風は一瞬の間の後、はあっと大きくため息を吐いた。

そして次の瞬間、ぐい、と私の手首を掴む。

驚いて顔を上げると、遥風とばっちり視線が交わる。

遥風はその視線を逸らさないまま、そっと私の手を持ち上げた。

「見てみ」

視線を落として、私はちょっと息を呑んだ。

手が、微かに震えていた。

ほんのわずか、気づかなければ見落としていただろう小さな震え。

「……っ」

「自分で気づいてないの、やばいな」

呆れたように、ちょっと笑う遥風。

「前から思ってたけど、お前、自分の感情に鈍感すぎ。もっと自分のこと大切にしろよ」

……遥風の言葉が、痛いほど心に刺さる。

『自分の感情には鈍感になって、相手の感情には敏感になりなさい』

物心ついた時から、お母さんに言われてきた言葉。

その言葉が呪いのようにこびりついて、いつの間にか、自分の気持ちはいつも後回しにするのが当たり前になっていた。

それで平気だと思ってた。

上手くやれてると思ってた。

──でも。

遥風に言われたことで、今ようやく、自分の中の感情にきちんと向き合ってしまった。

怖かったんだ、私。

「無理すんな。壊れるぞ」

呆れたような、それでいて優しさの滲んだ遥風の言葉。

私の中で、何かが音を立てて崩れる。

まぶたが熱くなって、視界がぼやけた。

思わず俯く私の髪に、さら、と優しく指を通す遥風。

「……入れよ」

さっきよりも少しだけ柔らかくなった声。

私は何も言わずに、静かに頷いた。