例えば。
食べ放題の最後に口にする豪華なデザートよりも、 一日中、何も口にできなかった後に食べる安いチョコレートの方が、 何倍も美味しく感じてしまうような。
普段優しい人から絆創膏をもらうより、怖そうだと決めつけていた人から、不意に心配の言葉をかけられる方が、 どうしようもなく、心を打つような。
そういう類の『温度差』が、人の感情を大きく動かすということを、彼は熟知しているのだ。
何か、その心理を経験した、あるいは利用したような経験があるのだろうか。
いずれにせよ──
『無感情から少しだけ熱を灯す』
そんな簡単な工夫だけで、榛名千歳は、自身の技術の大幅な成長無しで、一瞬にして観客たちの視線を独占してしまった。
そして──
『Your warmth unexpected, undefined
And suddenly, I wished to be alive
(君の温もりは予測不能で定義もできない
それを知った瞬間 生きたいって思ったんだ)』
ブリッジパート、サビ前、最後の一節。
彼が顔を上げた瞬間──
目元に、微かに光が差して。
彼を覆っていた薄氷が、鋭い音を立てて割れる音が聞こえた。
ぞくり、と。
全身が──
強く戦慄する。
『This melody’s not in my code.
It’s something my heart wrote
(このメロディはプログラムじゃない
僕の心が綴ったもの)』
相変わらず、抑揚は少ない歌声のはずなのに。
確実に、瞳の奥に宿った『切実な熱』が、真っ直ぐに観客席を射抜く。
マイクが、自然な息継ぎを拾う。
その貼り付けたようだった完璧な笑みに、どこか泣きそうな色が宿る。
鮮烈な感情表現ではない。
ただ、少しの感情の『揺らぎ』。
たったそれだけで──
いや、それだけだからこそ、胸が張り裂けてしまいそうなくらい、切ない。
