──あ、待てよ。
今のうちにウィッグを取り返せば……!

そう思い手を伸ばした瞬間、遥風はまたひょいとかわした。

そして、ニッと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。ム、ムカつく……。

「あの、返してほしい、かも?」

できるだけ愛想良く言ってみる。
女好きなら、おねだりには弱いはず──と思ったのに、遥風はまったく動じない。やっぱり、元芸能人なだけあって目は肥えてるらしい。

「俺、高3。敬語使え」

「かっ、返してください……」

渋々言い直すと、遥風は面白そうに目を細めた。

「普段生意気な奴が、俺にだけ従順って……ちょっとそそるね」

「マジ何言ってるんですか?」

「あれ、そんな態度取っていいの?」

「はいすみませんでした!」

慌てて頭を下げる。
そうだった、今の私は完全に主導権を『握られている』側。
できるだけ媚びを売っておかないと、大事故になる。
私の態度に満足したのか、遥風はクスッと笑うと、「はい」とウィッグを返してくれた。

「……何したら、バラさないでくれますか?」

ウィッグを被り直しながら、恐る恐る聞いてみる。
こういうのは、秘密を握った側が対価を求めるのがお決まり。

さて、何を要求される?
『俺の女になれ』なんて、ベタなセリフを吐いても違和感がないくらいの少女漫画のヒーロー顔。
でも、失礼だけど、普通に性格悪そうだし……下手すれば、無料風俗嬢みたいな扱いを受ける恐れだってある。
身構える私に向け、遥風は甘い笑みを浮かべた。

「これから俺と仲良くしてくれればいいよ」

……それだけ?
拍子抜けしていると、不意に、耳元に遥風の唇が寄る。

「栄輔じゃなくて、俺と仲良くしてくれんの、ちょー嬉しい」

その声音には、確かな優越感が滲んでいた。
まるで、手に入れた獲物を愛でるかのような、恍惚とした満足感、そして支配欲。

──ゾクリ。

背筋を這い上がる、悪寒とも熱ともつかない感覚。

さっきから、やけにベタベタしてくるの、女好きだからかと思ってたけど……なるほど、そういうこと。

やっぱり、彼はさっきの栄輔との一部始終を見ていたらしい。
だからこそ、栄輔が手に入れられなかった『榛名千歳』を手中に収めたことが、たまらなく嬉しいんだろう。

拗らせてるな、この人も。

「じゃ、ダンスとか歌とか、色々教えろよ。じゃーな」

そう言い残して、遥風は軽やかに去っていった。
私は呆然とその背中を見送る。

──やばい。

かなりやばい。

何がやばいって、男装がバレたのもやばいけど……バレた相手、皆戸遥風の危機管理能力がなんとも低そうなことが致命的。
まず気性の荒さでグループ脱退したって経歴からやばいし、さらに、収録初日にスタジオ前で大喧嘩かましていたのもかなりやばい。

きっと、頭に血が昇りやすくて、私欲が突っ走るタイプ。ちょっとでも間違えれば簡単に炎上するだろう。

そして、そんな彼が私に執着し始めたとなると──私にまでその火の粉がかかってしまう恐れがある。

もしそんなことがあったら、計画は総崩れ。
私、きちんと皆戸遥風(問題児)の手綱を握れるのかな。

そんな大きな不安に駆られながら、私は1人、大きなため息をこぼしたのだった。