視線を上げると、遥風がスタジオから出てきたところだった。
顔色は青ざめて、肩で荒く息をして。
物陰に隠れていた私に気づくことはなく、覚束ない足取りでスタジオを後にする。
その背中に一言も声をかけられないことに、心臓がぎゅうっと締め付けられた。
……直接、励ましてあげられなくてごめん。
けど、今、ちゃんと虐待の証拠は取った。
これを事務所に提出すれば、きっと少なからず問題視してくれると思うから──
それで、許してほしい。
と、そんなことを思いながら、彼の背中が消えるまで視線で追っていた──
その時だった。
「……榛名千歳」
頭上から降ってきた、冷たい声。
──ドクン。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
振り向かずとも、分かる。
その声の主は──
「盗撮とは、少々趣味が悪いんじゃないのか」
式町、睦。
ざら、と空気に溶けるような威圧感のある低い声に、ドッドッドッドッと心臓が再加速する。
喉に言葉が張り付いて何も言えない私を見下ろしたまま、淡々と続ける睦。
「覗かれていたことなど、最初から織り込み済みだったよ。ただ、その映像を提出されたところで、こちらとしては幾らでも処理のしようがある。
──何せこの会社において、巫静琉という個人よりも、『Schadenfreude』最後の生き残りである俺の方が、遥かに強い発言力を持っているのでね」
その年齢不詳の美貌が、貼り付けた仮面のような笑みを浮かべた。
……そんなの、ブラフだ。
そう思い込もうとしたけれど、よく考えてみれば、芸能界といえば揉み消しが常の世界。
バラバラになった伝説のグループ『Schadenfreude』の中で唯一事務所に残った式町睦は、事務所にとって美味しい存在。
もし巫静琉が聞き入れてくれても、他のお偉いさんたちが反発して揉み消される可能性は高い。
ぐっ、と下唇を噛む私に、視線を合わせるようにしゃがみ込む睦。
そして。
──ぐいっ!
乱暴に顎を掴まれ、顔を上げさせられた。
間近で交錯する視線。
息が、止まりそうになる。
そんな私を前に、睦は冷たく目を細め──
耳元に唇を寄せて、一言。
「……母親似だな」
……え?
その言葉を聞いた瞬間、すべての思考が一瞬にして凍りついた。
……今、なんて?
硬直する私に、追い討ちをかけるように続ける睦。
「整った輪郭、目の印象、そのすべてに──憎たらしいほど『桜井冬優』の血を感じる」
忌むべきものを見るような視線。
私は目を見開いたまま、しばらく思考ができないでいた。
数秒後、ようやく我に返って──
ようやく、背に冷や汗が滲む。
間違いない。
この人──私の生い立ちを知ってる。
