息が、止まった。


……なんで、式町睦が。


参加者たちの合否に濃く関わる、公平でいなければならないはずの審査員が、いち参加者にマンツーマン稽古をつけるとは考えにくい。

栄輔から聞いていた情報を踏まえて考えるとしたら──

浮かび上がる可能性は、ただ一つ。


遥風を苦しめ続けてきた『父親』は──

彼、式町睦であるということ。


呼吸が浅く、速くなるのをなんとか抑え、私はドア横の壁に背をつけた。


……まさか、式町睦が親だったなんて。


でも、そう考えると、全てに辻褄が合う。


ずっと不思議だった。


部外者がエマのスタジオに入って息子にマンツーマンレッスンをつけるって、許されるものなのか。

言葉ひとつで息子に番組を棄権させ、さらには外国のレーベルに移籍させられるものなのか。

よっぽどの権力者でないと成し得ない横暴だけど──

遥風の父親って、一体何者なのだろうか、と。


けれど、その正体が式町睦であるならば、話は別だ。


参加者の合否に深く関わる番組関係者。

芸能界にも顔が広い重鎮。

グローバルで活躍していたからこそ、海外にもコネクションはきっと有り余るほどあるのだ。


逆に、ここまでヒントが出ていたのに、何故もっとはやく気づけなかったのか。


衝撃から抜け出せない私の耳に、ドアの隙間から、彼らの会話が漏れ聞こえてくる。


「黒羽仙李はそんな表現はしないと、何回言えば分かる?」


そんな落ち着いた静かな声音は、睦のものだろう。

まるで諭すようにも聞こえるその言葉の奥には、ゾッとするような狂気が滲んでいた。


「自信の裏にも闇を抱えた、もっと切羽詰まった表現をしろ。二次審査の時の感覚はどうした。もう一回だ、立て」

「……うっせぇな、もう限界だって……」


弱々しく溢れた、遥風の反発。

その言葉が落ちきる前に──


ガンッ、と鈍い衝撃音。


な、何っ……!?


慌ててドアの隙間から覗き込むと──

睦が、遥風の身体を思い切り蹴り上げているところだった。


「ぐっ……!」


苦しげに顔を歪める遥風。

その凄惨な光景に、思わず声が出そうになって、慌てて抑える。

そのまま睦は、体勢を崩した遥風の髪を乱暴に掴み、上を向かせた。


「立て」


もう一度、静かに、命令のように。

氷のように冷たい双眸が、射抜くように遥風を見下ろす。


「俺が、仙李を過去の栄光にしないために、どれだけ努力してると思ってる?彼を再来させられるのは──

遥風、お前しかいないって言うのに」


そこで言葉を切ると、再びスタジオに鈍い音が走る。

睦が、思い切り遥風を壁際に叩きつけたのだ。


「……っは……、骨折る気かよ……」


行きすぎた痛みのせいか、苦笑にも近い言葉を吐き捨てる遥風。

乱れて落ちた前髪で、その目元の表情は窺えない。


そんな彼を見下ろす睦の目の色には、痛いほどに見覚えがあった。

自分の理想を押し付けるためには、実の子の心も体も壊すことを厭わない──

そんな、人間の欲と狂気をない混ぜにした醜い色。


私の亡き母親と同じ──『夢』に囚われたままの大人の目だ。