──午後練、終了後。


私は早くも、翔に嫌われすぎるのは失敗だったかもしれないと思い始めていた。

と、いうのも。
今日の午後練から、分かりやすく、翔が私に対してスパルタになったからだ。


『千歳、またワンテンポ遅れてる!やる気あんの?』

『どこの音拾ってんのかちゃんと聞いてる?ただ型をなぞればいいわけじゃないんだよ』


と、レッスン中、厳しい怒号をぶつけられ一人やり直しさせられまくるので、私のエネルギーは身体的にも精神的にももうほとんど底をついていた。


色々あって忘れかけていたけれど、そういえば今日の私は徹夜明けだし。

こんなにもコンディション最悪の身体に、あの強度の練習はきつすぎる……。


頭はぼんやり靄がかかって、足は鉛のように重く、心臓の鼓動だけがやけにうるさく耳に響いていた。


……これ、部屋に戻る前に、静かなところでちょっと休んだほうがいいかもしれないな。


そう考えた私は、スタジオ近くのラウンジに足を向けることにした。

ひんやりとした廊下の空気が、汗ばんだ肌に心地いい。

疲労で倒れてしまわないように、廊下の壁に手をつきつつ、なんとかラウンジまで向かうと。


そこには、既に先客がいた。


ソファに浅く腰掛け、テーブルの上の紙に何かを書き殴っているみたいな──

栄輔の姿。


ペンがカリカリと紙の上を走るような音が、静まり返った空間に響いていた。


……勉強してる?


まるで試験前の受験生みたいな集中の仕方で、私が入ってきたことにも気づいてないみたい。

少し好奇心が湧いて、そっ、と彼の背後から覗いてみる。


──すると、そこには。

広がった何枚ものルーズリーフが真っ黒になるくらい、びっしりと書き込まれた文字たち。ところどころ、赤ペンで丸印が付けられ強調するようになっていた。


その紙の端の方に書き殴られた文字が、ふと目に入る。




『主人公……二十歳を迎えた遊女?
美貌と芸で客を喜ばせることだけが生きる術(自分の価値は桜と同じ、咲いてる間だけ)
本気の恋は一度きり 幼い頃、桜が散る川辺で笛を吹いていた若侍』




そして、ページの端には、花魁の髪型のスケッチや、花街の路地の描写。

さらに、『酒を呷る手元の震え』『襖の向こうの背中を見送る』など、細かい演技メモが。


……『桜嵐』の、曲背景の設定みたいだった。

それにしても、すごい量。


この映画音楽が使われた邦画『桜嵐』のストーリーを完璧になぞり、作中では拾われなかった細部のディテールまでしっかりと書き込まれている。


完璧に作り込まれた彼の曲に対するイメージを前に、ちょっと圧倒されていた──そのとき。