本社棟の雰囲気は、スタジオ棟や寮棟のそれとは全く違ったものだった。

どこか洗練された、静かな空気が漂う空間。
新築のような木材の香り、ソフトな照明、微かに聞こえる空調の駆動音。

その全てが、日本随一の芸能事務所を思わせる張り詰めた雰囲気を形作っていた。

エマプロの撮影施設と本社棟が簡単に行き来できることは知っていたけれど、用が無ければ入ってはいけないというような暗黙のルールがあったので、私がここに足を踏み入れたのは初めてで。

だから、普段使っている撮影施設との違い──例えば部屋のドアが全部高級そうとか、ガラス張りの壁から見える夜景が綺麗とか、そういう小さなことにもいちいち感心してしまう。

……と、そんな私とは対照的に、もう館内図がすっかり頭に入ってるみたいな様子で迷いもせず廊下を突き進んでいく京。

三次審査で彼に少し歩み寄れたと思っていたけれど──

得体が知れないのは相変わらずだ。

当然のように本社棟の構造を把握していたり、アーティストたちの打ち合わせスケジュールを知っていたり、彼に関しては不可解なことがまだまだ多すぎる。

そんなふうに思考を巡らせながら、つい隣を歩く京の横顔を見つめてしまっていると。


「……何見てんの、可愛いね」


京が不意にこちらを見てにやりと笑ってきた。


……やば。
他人のこと考える時にその人のことじっと見ちゃうの、悪い癖だ。


「なんでもない」


慌ててふいっと目を逸らし、そのまま歩き出そうとした──けれど。

京はそれを阻むように、手慣れた仕草で肩を抱いて強引に引き寄せてきて。


ごくごく自然に、私の唇に軽くキスを落とした。


「……?」


一瞬触れただけの感触を処理できず、数秒間、硬直。

しばらくの沈黙の後、ようやく今何をされたのか分かって、一気に頬に熱が集まっていく。

最近になってようやく気づいたけど──

この人、多分キス魔だ。


「……あれ、キス待ちじゃなかった?」


すっと唇のラインをなぞって、揶揄うように目を細める京。
この人……完全に私の反応を見るのに味を占めてる。

本気で危機感を覚えた私は、京の腕を肩から振り払って慌てて距離を取った。


「そんなことより、さっさと明頼探さなきゃ。そのために来たんでしょ」


私は決して、京といちゃつくためにここに来たわけじゃ無いのだ。
もしここで変に接触して事務所側にバレたら、どうなるかも分からないのに。

完全に警戒心マックスの私を前に、京は「ごめんごめん」と謝るけれど、全く反省している素振りはない。

なんなら、ちょっと面白そうに目を細めて──


「明頼の件なら大丈夫。スイモニはここには居ないから」


と、サラッと衝撃発言を投下してきた。