「お疲れー」
いつも通り、軽薄な声で挨拶をして、事務所の裏に寄せられた車に乗り込む。
後頭部座席には、既に眠らされた若原清架がぐったりと横たえられていた。
「約束のブツは」
運転席の男が、ルームミラー越しに俺を見て低く言った。
裏社会で知り合った便利屋。報酬さえ払えば、犯罪の実行犯にもなってくれる、倫理観ゼロのぶっ壊れ人間。
……そんな奴を利用してる俺も大概か。
「これでしょ」
バッグから瓶を取り出して投げ渡す。
キャッチした男は、そのラベルを確かめた瞬間──ニヤ、と歪に唇を釣り上げた。
「うひょー、マジモンじゃねぇか!こりゃヤりたい放題だなぁ、でかしたぜ峰間」
「どうも。それよりさっさと出してよ。警察に怪しまれない程度に飛ばして」
「ヘイヘイ、任せな」
声を弾ませながら、男は勢いよくアクセルを踏み込む。
身体が後ろに引かれる軽い重力を感じながら、俺は窓枠に肘を乗せ、夜の流れる景色に目を細めた。
……自分が、正解とは程遠い道を歩いているのは分かっている。
『そんなことしたって、京自身は何も満たされない』
『誰に執着してるのかは、私には分からない。何があったのかも知らない。でも……その想いは、ちゃんと、その人にだけ向けてよ』
あの日、千歳が俺に言ったことは、全部正論だった。
どこまでも真っ直ぐな、正しさの塊。
対して──俺の生き方は、歪んでて、自分勝手で、八つ当たり。
過去の傷を払拭するみたいに、関係ない誰かを巻き込んで、弄んでは傷つけて。
清架のことを責めながら、気づけば自分が彼女と同じ場所に立っている。
「なぁ峰間。こんなの、どこで手に入れたんだよ?」
運転席の男が、瓶をちらつかせながらニヤニヤと尋ねてくる。
俺は目を閉じてから、静かに答えた。
「……人脈だけは広いんでね」
ぼそ、と呟いた瞬間──脳裏によぎったのは、別れを告げた時の小夜の顔。
……あれは、昔の俺と同じだった。
一方的に捨てられて、理解できなくて、縋りつくしかできなかった、惨めな姿。
人を利用しても、誰かを切り捨ててても、今までは何も感じなかったのに。
……千歳のせいだろうか。
こんなにも、自分のことが気持ち悪くて仕方がなく思えるのは。
あの、真っ直ぐで正しい言葉のせいなのだろうか。
「……気持ち悪」
思わず口から漏れた言葉に、運転席の男が「ん?」と怪訝そうに振り向いたが、何も答えず目を伏せる。
──このまま突き進んだ先に、救いなんかない。
そんなことは、最初から分かっていた。
けど、それでも。
自分の人生をぐちゃぐちゃにした若原清架という女の心に、一生消えない焼き印を残してやりたかった。
……そして。
『苦しみ』を免罪符に、これまで他人の人生を踏み躙ってきた自分も、罰を受けるべきだと思った。
──だから。
「スピード、上げて」
「おうよ」
車は、さらに加速する。
夜の街を切り裂くように、静かに、真っ直ぐに。
その風を頬に受けながら、再び目を閉じた。
それ以上の思考を、遮るように。
今だけは、罪も、正しさも、温もりも──全てを、忘れてしまえるように。
