その夜、それぞれの就寝場所は小夜ちゃんに押し切られる形で決まった。

『せっかく京に会えたのに、一緒に寝れないなんてあり得ない』

例の隠し撮り写真を片手にそう主張する彼女を前に、私たちはその意思を尊重するほかなかった。

というわけで、今夜は小夜ちゃんと京が寝室を使い、私と葵はずっと作業部屋にこもりっぱなし。

理由は二つ。

一つは、私がフューチャリングする葵のソロアルバム収録曲『LOVE:CODE』のレコーディングを進めるため。
二つ目は、完全防音である作業部屋にいることで──何がとは言わないけど、気まずい音を聞くのを防ぐため。

「人ん家をなんだと思ってんだよ……」

この家の主であるにも関わらず、作業部屋に追いやられた葵は完全にご立腹だった。

峰間京、冗談で『ホテル代わりに使って良いすか』とか言ってたけど、まさかの有言実行。
本当にぶっ飛びすぎてる……。

そんなどう考えてもおかしい状況下で、私たちは二人でレコーディングを進めていた。

『So I’ll sing, not 'cause I’m told to
But 'cause I want to reach you 』

隣でマイクに向かって歌う葵の綺麗な横顔を、なんとなく眺める。

──『アンバーグラス』を歌ってる時とは、全然違う歌い方。

感情は抑えめでいて、柔らかく、温かく、心に直接触れてくるような歌声。

……葵、こんなにも透明な声を出せるんだ。

心の奥に、水滴が落ちるみたいにじんわりと染み込んでくる低音が、この切なげなエレクトロポップのメロディをこれ以上ないほど際立たせてる。

どんな曲にも完璧に『正解』の表現を叩き出す葵を見ていると、やっぱり私たちとはレベルが違うんだな、と思ってしまう。

自分のパートを録り終え、ヘッドフォンを肩にずらす葵。

そして、ちらりと私の方に視線を流し、ちょっと悪戯っぽく目を細める。

「千歳、俺の声、割と好きでしょ」
「はっ?」

予想もしていなかった言葉に、思わず素っ頓狂な声が漏れた。

「なんでですか」
「完全に聞き入ってたし。ようやく惚れたね」
「いやそんなことないです」

私が葵に惚れたことになったら、罰ゲームとして葵は私の男装を番組側に告発してしまう。

それだけは絶対に嫌だ、と思って食い気味に言うと、葵はちょっと顔を引き攣らせた。

「否定早すぎでしょ」
「だって誤解されたくないですから」

素っ気ない態度で返すと、「最初の頃の激甘千歳はどこへ行ったんだか」と本気で拗ねたように口を尖らせる葵。

きっと、今の葵はかなりフラストレーションが溜まっている。

すぐ片付けられると思っていた獲物がちょこまかと逃げ回って──あろうことか、犬猿の仲とも言える峰間京に恋愛感情まで抱いているんじゃないかっていう状況。

平常心で、余裕を保っていられるはずがない。

そこで私は、ふと思った。

きっと、彼にとって今が苛立ちのピーク、すなわち──『飴』を与えるのにベストなタイミングなんじゃないか?

葵は気まぐれで、飽きやすい性格をしてる。

この焦れた状況への苛立ちが飽和してしまったら最後、普通に関心を無くされるだけだろうし。

──ちょっとだけ、試してみよう。