さっさと嫌いになってくれ〜アイドルオーディションで嫌われたい男装美少女、なぜか姫ポジ獲得?!〜



瞬間。

ぴた、と遥風の動きが止まった。


静かな室内。いまだに耳の奥で鳴っている鼓動。

沈黙が、やけに長く感じられた。


数秒後──

ようやく、遥風がゆっくりと顔を上げる。


前髪の隙間から覗く黒い瞳が、真っ直ぐにこちらを捉えた。

そのまま、遥風は何も言わずに立ち上がって、スマホをポケットにしまい──こちらに近づいてくる。


一歩。


また一歩。


距離が縮まるにつれて、どく、どく、と大きくなる心臓の音。



大丈夫。


ただ話すだけだ。


まず、昼間のことを謝って、


その後、昨日のことの説明も、ちゃんと──!



と、そう思っていたのに。



──すっ。



遥風は私と目を合わせることもなく、横を通り過ぎていった。



ふわ、といつもの爽やかな匂いだけが残る。




…………あ。




呆気に取られ、振り返ることもできない私を置き去りにして、足音はどんどん遠ざかっていく。


今、名前を呼べば、まだ間に合うかもしれないのに。



待って、とか。


一回ちゃんと話そうよ、とか。



頭の中には浮かぶのに、凍りついた喉からそんな言葉が出てくる気配は少しもなくて。



結局──



ガチャン。



背後で、扉の閉じる音がした。