イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。


 けれど、成人男性に乗られた状態では、例え成人しているとしても女性では逃げられない事は分かってる。

 視界が揺れる。こんな人に触れられたくない。やめて。そこからどいて。そう叫びたかった。けれど、自分の無力さに絶望すら覚える。

 少しずつ近づいてくる佐々木先輩の顔に、あぁ、もう無理だ、と、諦めてしまった。

 その時だった。

 大きな音が、この廊下に響いた。


「瑠奈っ!!!」


 彼の大きな声が、耳に入ってきた。声のする方に視線を向けると、先ほど別れた彼の姿が見える。けれど、佐々木先輩に乱暴に胸ぐらを掴み起こされ、廊下に兼ねているキッチンの収納扉が強引に開く。扉の内側に仕舞ってある包丁が抜かれようとしていたけれど……


「確保っ!!」


 私から離され、包丁を握る手を掴み、床に押さえつけられいた。そして、佐々木先輩の手首に手錠がかけられる。そこに至るまでが早すぎて、私はこの状況に理解出来たのは他の人達が玄関から入ってくる頃だった。


「瑠奈っ!」


 警察に佐々木先輩を渡した湊さんは、私に駆け寄り抱きしめた。それまで生きた心地がしなかったのに、ようやく息が出来たように感じた。


「悪い、遅くなった。ごめん……ごめんな」

「う……」


 言葉が出てこない。その代わり、無意識ではあったけれど、抱きしめてくる彼に手を回し、強く抱きしめ返した。

 先ほどまで目元に溜まっていた涙が、一気に流れ出る。湊さんが謝るようなことは全くないはずなのに、悪いのは私のはずなのに。でも、それを訂正する言葉は出てこない。その代わり……


「湊、さん……」

「あぁ、瑠奈」


 強く、抱きしめた。彼がここにいる事を、確認するかのように。

 怖かった。

 豹変した、自分が知っているはずの人の姿を見て。私に近づいてきて、触れてくることが怖かった。

 会いたかった。

 さっきまで、自分を安心させてくれていた、私を助けてくれた人に。

 もう、離したくない。

 そう思うと、回す手に力が入る。

 背中をさすってくれる手が、優しい。湊さんの、大きくて温かい手だ。


「事情聴取は明日。俺が担当する」

「了解しました」


 ……そういえば、事情聴取、二回だっけ。

 それを思い出し我に返った。どんだけ私事件起こされちゃってるの。


「瑠奈、ウチに連れてくぞ。文句は言うなよ」

「……」


 文句なんて言えるわけがない。警察官のそばが一番安全そうだもん。それに……アルバイト先の先輩とはいえ他人が勝手に入った自宅に一人でいるのは……怖いにもほどがある。

 そんな時だった。


「一つだけお聞きしてもよろしいですか?」


 警察の方が、とあるものを私に見せてきた。これに見覚えはあるか、とのことだったけれど……目を見張った。

 それは……私の家の鍵。それについているキーホルダーも、見覚えがある。間違いない、それは母が持っていたこの家の鍵だ。

 もしかして、これは……佐々木先輩が、持っていた?


「犯人が所持していたものです」


 湊さんにもう一度聞かれ、小さく頷いた。どうして、それを……佐々木先輩が、持ってるの……?

 この件に、母も関わっているとしたら……?

 そう思うと、寒気がした。


「母、が……」


 何とか絞り出して伝えた。犯人とも、以前アルバイトをしていた居酒屋の先輩だとも。

 けれど、早々に湊さんが切り上げ横抱きにし部屋から出されてしまった。いい、のかな……?


「もうこんな時間だからな。早く帰ろう」

「……」


 今日は、色々とありすぎた。うん、ありすぎて、疲れた。

 何となく安心感を覚え……たけれど、熱くも感じた。それは、たぶん……数時間前に起きた、湊さんから貰った言葉のせいだと思う。