パラリとページを捲る音がして、右に頭を動かせば貸し出しカウンターの椅子に水沢くんは座っていた。手に持っている文庫本のタイトルは「痴人の愛」。作者名は谷崎潤一郎。一体誰でどんな小説なのか、さっぱりわからない。

「その本、面白い?」

緊張で声が震えた。水沢くんは驚いた様子で顔を上げる。読書にそんなに集中してたんだ。

「驚かせちゃってごめん。水沢くん、いつも何を真剣に読んでるのかなって。私、全然読書とかしたことないんだけど」

「谷崎潤一郎は明治末期から昭和中期まで活躍した文豪だよ。この痴人の愛は彼の代表作」

「文豪って国語の教科書に出てくるような人だっけ?」

「そうだね。太宰治の「走れメロス」とか、夏目漱石の「坊ちゃん」とか、最近習った中島敦の「山月記」なんかも有名な作品だね」

水沢くんは楽しそうに話す。口角が上がっていて、頰が少し赤く色付いて、こんな水沢くんは教室で一度と見たことがない。そんな彼を夢中にさせている本の世界に、私も興味が生まれてしまった。

「ねぇ、読書初心者にもおすすめの本ってある?」