我が儘を聞いてもらって、久しぶりに王宮の自室に戻る。
すぐに用事を済ませると、塔のてっぺんに戻った。
早めの夕食を簡単に済ませると、夜が来るのを待った。
早ければドットは、明日か明後日には戻ってくる。
どうしてもその前に、済ませておきたいことがあった。
街の外も城の中も、完全に周囲が寝静まるのを待ってから、私は雨の上がったばかりの夜の窓を開けた。
「カイル。カイル聞こえる? お願い。ここへ来て」
呼べばいつでも来てくれると言ったけど、それは本当だったのだろうか。
窓は分厚い壁をくり抜くようにして取り付けられているため、窓枠には人一人が十分腰掛けられるほどの結構な幅がある。
そこへ王宮の自室からこっそり運んで来た、大切なものを置いた。
ずっと考えていたことでもある。
これならきっと、5,000億ヴェールの代わりにグレグとの交渉に持ち込める。
窓の外は秘密の交渉に相応しく、荒れた天候に雲がせわしなく流れていた。
しばらくして、すっかり明かりの消えた夜の街の上空から、一羽の巨大なカラスが吹き荒れる風に乗って現れる。
「どうした、ウィンフレッド。身代金の用意が出来たにしては、早すぎじゃないか?」
「いくらなんでも私のために、そんな金額を用意できないわ」
「まぁ、そうだろうな」
カラスのカイルは、呆れたようにくちばしで羽根を整える。
「だから、宮廷魔法師が帰ってきたら、そいつと相談しろと言っただろ。そもそも自分の身代金を、本人が直接交渉するやつがあ……」
羽づくろいをする彼の横で、私は用意しておいた小箱を見せた。
その赤茶色の布を貼った箱は、細やかな透かし彫りの入った四本の金の脚で装飾されている。
蓋は王冠のように丸く膨らんでいて、その中央には大粒の真珠が埋め込まれていた。
「金額はいくらになるか分からないけど、5,000億ヴェールの代わりに、これでどうかしら」
留め金をカチリと外し、それを開く。
深紅のベロアにしっかりと埋め込まれたそれは、わずかに光るランプの灯りに、燃えるような炎を揺らした。
カイルは黒く丸い目を大きく見開く。
「これは……。ウィンフレッド。お前、どこからこれを持ち出した……」
「自分の部屋からよ」
それは私の握りこぶしほどの大きさがある、大粒のルビーのブローチだった。
10歳の誕生日を迎えた時、無事に生まれ成長し、王家の一員として正式に認められた証に贈られたものだ。
その台座となる金の板にラドゥーヌ王家の鷲の紋章が描かれ、見る角度を変えると、わずかなオレンジ色を帯びた深紅の宝石の奥に、その紋章が浮かび上がる。
「こんな大切なものを、むやみに持ち出すんじゃない!」
「どうしてよ。これは私のものであり、私自身でもあるのよ」
無事に10歳を迎え王族の証として贈られるこのブローチこそが、私の身分を証明するものだった。
このブローチを持つ者が、ラドゥーヌ王国の第一王女であり、「ウィンフレッド」となる。
「グレグは、私が欲しいのでしょう? だからこれを渡そうと思うの」
「こんなものは受け取れない!」
「どうして? これをなくしたって、私は私よ。これで5,000億ヴェールの代わりにグレグの気が済むのなら、安いもんだわ」
私はルビーのブローチを専用のジュエリーボックスから取り出すと、カラスのカイルに押しつけた。
「待て! 落ち着け! お前は王女としての身分を捨てる気なのか? ちゃんと宮廷魔法師と話しあえ!」
「いやよ。だってドットに相談したって、反対するに決まってるもの」
石造りの壁の分だけ厚みのある窓枠で、カイルは両翼を広げ受け取りを拒むように、ブローチを持つ私の手を翼で打ち付ける。
「自分でもちゃんと分かってるじゃないか! このブローチの価値は、値段で計れるものじゃない!」
「そうよ。私の『身の代』として、これ以上ふさわしいものなんてないもの! 売ったところで、5,000億ヴェールの値段は付かないかもしれないけど」
カイルを押しのけ、それを彼の足元に置こうとするのを、くちばしで突いて邪魔してくる。
「5,000億ヴェールどころの話しじゃない! お前は自分自身を手放すつもりか?」
「だって、グレグが望んでいるのは、結局こういうことなんでしょ?」
石の上に置いたブローチに、カイルの尾が当たった。
慌てて彼が飛び跳ねた拍子に、ルビーのブローチを彩る細かな装飾の一部が羽根に引っかかる。
彼が身を振るい羽ばたいて振り落としたそれは、カツンと石の窓枠に落ち飛び跳ねた。
すぐに用事を済ませると、塔のてっぺんに戻った。
早めの夕食を簡単に済ませると、夜が来るのを待った。
早ければドットは、明日か明後日には戻ってくる。
どうしてもその前に、済ませておきたいことがあった。
街の外も城の中も、完全に周囲が寝静まるのを待ってから、私は雨の上がったばかりの夜の窓を開けた。
「カイル。カイル聞こえる? お願い。ここへ来て」
呼べばいつでも来てくれると言ったけど、それは本当だったのだろうか。
窓は分厚い壁をくり抜くようにして取り付けられているため、窓枠には人一人が十分腰掛けられるほどの結構な幅がある。
そこへ王宮の自室からこっそり運んで来た、大切なものを置いた。
ずっと考えていたことでもある。
これならきっと、5,000億ヴェールの代わりにグレグとの交渉に持ち込める。
窓の外は秘密の交渉に相応しく、荒れた天候に雲がせわしなく流れていた。
しばらくして、すっかり明かりの消えた夜の街の上空から、一羽の巨大なカラスが吹き荒れる風に乗って現れる。
「どうした、ウィンフレッド。身代金の用意が出来たにしては、早すぎじゃないか?」
「いくらなんでも私のために、そんな金額を用意できないわ」
「まぁ、そうだろうな」
カラスのカイルは、呆れたようにくちばしで羽根を整える。
「だから、宮廷魔法師が帰ってきたら、そいつと相談しろと言っただろ。そもそも自分の身代金を、本人が直接交渉するやつがあ……」
羽づくろいをする彼の横で、私は用意しておいた小箱を見せた。
その赤茶色の布を貼った箱は、細やかな透かし彫りの入った四本の金の脚で装飾されている。
蓋は王冠のように丸く膨らんでいて、その中央には大粒の真珠が埋め込まれていた。
「金額はいくらになるか分からないけど、5,000億ヴェールの代わりに、これでどうかしら」
留め金をカチリと外し、それを開く。
深紅のベロアにしっかりと埋め込まれたそれは、わずかに光るランプの灯りに、燃えるような炎を揺らした。
カイルは黒く丸い目を大きく見開く。
「これは……。ウィンフレッド。お前、どこからこれを持ち出した……」
「自分の部屋からよ」
それは私の握りこぶしほどの大きさがある、大粒のルビーのブローチだった。
10歳の誕生日を迎えた時、無事に生まれ成長し、王家の一員として正式に認められた証に贈られたものだ。
その台座となる金の板にラドゥーヌ王家の鷲の紋章が描かれ、見る角度を変えると、わずかなオレンジ色を帯びた深紅の宝石の奥に、その紋章が浮かび上がる。
「こんな大切なものを、むやみに持ち出すんじゃない!」
「どうしてよ。これは私のものであり、私自身でもあるのよ」
無事に10歳を迎え王族の証として贈られるこのブローチこそが、私の身分を証明するものだった。
このブローチを持つ者が、ラドゥーヌ王国の第一王女であり、「ウィンフレッド」となる。
「グレグは、私が欲しいのでしょう? だからこれを渡そうと思うの」
「こんなものは受け取れない!」
「どうして? これをなくしたって、私は私よ。これで5,000億ヴェールの代わりにグレグの気が済むのなら、安いもんだわ」
私はルビーのブローチを専用のジュエリーボックスから取り出すと、カラスのカイルに押しつけた。
「待て! 落ち着け! お前は王女としての身分を捨てる気なのか? ちゃんと宮廷魔法師と話しあえ!」
「いやよ。だってドットに相談したって、反対するに決まってるもの」
石造りの壁の分だけ厚みのある窓枠で、カイルは両翼を広げ受け取りを拒むように、ブローチを持つ私の手を翼で打ち付ける。
「自分でもちゃんと分かってるじゃないか! このブローチの価値は、値段で計れるものじゃない!」
「そうよ。私の『身の代』として、これ以上ふさわしいものなんてないもの! 売ったところで、5,000億ヴェールの値段は付かないかもしれないけど」
カイルを押しのけ、それを彼の足元に置こうとするのを、くちばしで突いて邪魔してくる。
「5,000億ヴェールどころの話しじゃない! お前は自分自身を手放すつもりか?」
「だって、グレグが望んでいるのは、結局こういうことなんでしょ?」
石の上に置いたブローチに、カイルの尾が当たった。
慌てて彼が飛び跳ねた拍子に、ルビーのブローチを彩る細かな装飾の一部が羽根に引っかかる。
彼が身を振るい羽ばたいて振り落としたそれは、カツンと石の窓枠に落ち飛び跳ねた。



