初恋にはブラックコーヒーを添えて

 長いようで短い高校生活を終えてから、1年後の春。

 凌と私にとっては初めての結婚記念日でもある。


 女子の私と対等に渡り合える程度にはロマンチストな凌くんが、こんな大切な日に何もしない訳がない。

「美味かった…!」
「俺は紫乃の料理も好きだけどね」

 ということで、私たちは夜景の綺麗なレストランで食事をした。今はその帰り道だ。

 あまりにもベタすぎて、このままプロポーズでもされそうである。夫婦だけど。
 
「ご冗談を、凌くん」
「えー、俺は本気なのに」

 元が親友兼幼馴染だったため、凌と結婚してもお互いのことは全部知っていると思っていた。
 
 
 …けれど、自分の褒め言葉を冗談と笑い飛ばされた時の、このちょっと拗ねたような表情はずっと一緒にいるようになって初めて知った。

「それなら私、シェフになれるじゃん」
「絶対に毎日通う」
「これで常連客ができた」

 つまり、凌は本心から私の料理を褒めてくれてるってことだけど…。そんな大したものは出してないのに。

 嬉しいような、嬉しいような。
 
 

「──ねぇ、紫乃」

 
 
 
 不意に凌が、私の服の袖を引く。

 そっと後ろを振り返ると、凌は何かを決心したような表情をしていた。
 

 …そう。
 まるで、1年ちょっと前のクリスマスみたいに。

「…なぁに? もしかして、これからプロポーズされたりする??」
「去年したの覚えてない?」
「いやされましたけど、そしてかっこよかったけど」
「……紫乃がプロポーズされたいなら、俺は何度でもするよ」

 その瞳に不安の色が宿っていたので、さりげなく褒めると、凌は幸せそうに頬を染める。

 
 自分でやっておいてこんなことを言うのも何だが、我が夫ながらチョロい。
 是非とも私の前では、一生そのままでいて欲しい。
 
「ということで、ずっと俺と結婚しててください」
「はい…!」
「これからもよろしくね、紫乃」
「こちらこそだよ…」
 
 ふざけつつも至って真面目な凌が差し出した手の上に、私のそれを重ねる。
 

 凌は私の手を強く握ると、そのまま歩き出した。

 去年よりも愛おしさの増した背中を見つめながら、私はふと疑問に思っていたことを尋ねてみた。

「……そういえば、凌ってどうして私を好きになってくれたの?」
「あれ、話したことなかったっけ?」
「細かいきっかけまでは……」

 その理由を教えてくれたことは何度もあるし、その度にドキドキしているけど。
 
 でも、具体的なきっかけを聞いたことはまだなかった。
 もちろん、そんなはっきりとした理由なんて、ないのかもしれないが。

 
 昔から好きだったって、凌が眩しそうに目を細める“何か”を、私も見てみたいなと思ったから。

「えっと、あれは確か──」
 

◆◆◆


 まだ、俺たちがほんの4歳、幼稚園生の頃だった。

「りょうくん、まだできないのー?」

 隣にいた友達が、そんな不満を漏らした。

 俺は音楽が苦手だったから、お遊戯会のための合唱の練習でも、みんなの足を引っ張っていた。

 有名なドラマの主題歌なんだけど、難しい曲だったらしくて、家で何回練習しても、俺は曲を覚え切ることができなかった。
 
 
 先生は優しいから、俺が歌えないと練習を一旦止めてくれる。
 そして、俺のところまで来て、励ましてくれた。

「う、うん……」
「えー、おそーい…」
「わたし、もうつかれたー…」

 だからこそ、ちゃんとできているみんなはすごく不満そうだった。

 待つことに飽きてしまって、不機嫌になったこの空気が、全部自分のせいだと思うと嫌だった。

 「りょうくん、いい調子だよ」

 ママもおばさんも先生も、そう言う。

 だけど、そのたんびに俺は、友達の退屈そうな顔を思い出してしまう。


 ある日、俺はみんなが外で遊んでる時に、教室に残って練習していた。でも、やっぱり難しい。

 すごく不安になって、俺はブロックで遊んでいた紫乃に話しかけた。

「ねぇ、しの…どうしよう、おれ……」
「なぁに?」
「このうた、むずかしい…」

 俺のため息に、紫乃はきょとんとする。
 
 いつも思ってるけど、紫乃は可愛い。
 …もしかしたら、もっと前から俺は紫乃が好きだったのかも。
 
「だいじょうぶ! りょうはがんばってるもん」
「でも…」
「もー、しょうがないなぁ」

 大丈夫だって明るい笑顔で言ってもらったのに、俺はまた心配になる。

 そんな俺を見て、紫乃はため息を吐きながら笑った。

「わたしが、おしえてあげる!」
 
 当時の紫乃も決して音楽ができる方ではなかったけど。

 でも、紫乃の歌声だけは恐ろしいほど俺の耳に、すんなりと入ってきた。

 
 そして俺は、なんとかお遊戯会の合唱を乗り切った。



 みんなより数歩後ろ。
 簡単なことでつまづいて、転んで、また頼って。


 それでも、嫌な顔ひとつせずに──いや、ちょっと呆れた顔で「仕方ないなぁ」って待っていてくれる紫乃が好き。


◆◆◆

 
「凌は音楽出来ないもんね」


 凌の話を聞き終えて、真っ先に出て来た感想がそれだった。……ごめんね、凌。悪気は一切ない。

 そんなに昔の思い出(もちろん私の記憶はなかった)を大切に覚えていてくれたことも、すごく嬉しい。


 だけど、その会話を覚えていないので、何とも言えないし。それに、確かに凌ならそうなりそうだなと思ったし。

「…紫乃だって体育出来ないでしょ?」
「返す言葉もないです」
 
 またもや、ふてくされた凌が反撃を仕掛けてくる。珍しいことに、その表情には若干の余裕すら見て取れる。

 もしかしなくても、私がこの前、バスケ中に凌の動きを真似しようとした結果、盛大に転んだところを目撃したのだろうか。タチが悪い。

「紫乃は?」
「と言うと…」
「いつ俺を好きになってくれたの?」

 最近は気持ちを伝えることに慣れてきたけど、やっぱり恥ずかしさはある。

 が、凌くんは私への容赦がないようだ。

 
 高校時代もそうだったけど、こと恋愛に関しては凌の自己肯定感は若干低い。
 
「……えー、文化祭の時、かな」
「その話、詳しく聞かせて」

 だから、こうやって伝えられる愛は伝えないと。

 と、心の奥底で思ってはいる。
 照れくさくて、半分くらいしか実行できてないけども!
 
 
◇◇◇


 そもそも私が凌への恋心を自覚したのは、文化祭でなずなたちと軽音部で発表した時だ。
 
 女子たちから熱っぽい視線を向けられている凌(もちろん観客だ)を見て、やきもちをやいた。

 
 1番のきっかけと言えばそれだけど、実はもうひとつある。

 
 私たちは無事にステージ発表を終え、そして3連休と平日を消化した4日間の文化祭も何事もなく終わった。

 高校の文化祭は、一般客は入れずに生徒たちで楽しむ後夜祭というものがある。
 

 文化祭を終えた達成感で吹き飛びそうだったが、それでも最後だからと私は凌と一緒に後夜祭に参加していた。

 ちなみに、なずなと西園寺くんは、デート兼お疲れ様会をするらしい。4人で打ち上げもする予定なのだが、待ち切れなかったみたいだ。…仲良しで何より。

「紫乃、紫乃」
「何?」

 同級生のコントや、後輩のバンドの発表で、会場の熱気はどんどん増していく。

 あまりの盛り上がりに、歓声がいつもより少しうるさく感じる。元々、体育館の音響はそこまでよろしくないし、気のせいだろう。
 そう思ってステージを見ていると、突然凌に肩を叩かれた。
 
「俺さ、疲れちゃったから休憩しようと思うんだけど、一緒に来てくれない?」
「いいけど…なんで?」
「後夜祭なのにぼっちは嫌というか…」
「それはそう」

 私も凌にいなくなられては孤立してしまうので、大人しく着いていく。ここでの私はぼっちだからね。仕方ない。

 体育館から出ると、外の空気が涼しく感じた。

 私立クオリティーとはいえ、体育館は体育館なので、やっぱり熱気は籠るみたいだ。
 2人で床に腰掛けた直後、凌は何かを思い出したかのように立ち上がる。


 …ここで何か用事とか言わないでよ?

「俺、飲み物買ってこようかな。紫乃は何がいい?」
「じゃあ…いちごオレ」
「任せて」

 疲れてるのに悪いな、とも思ったけど、今更凌に気を遣うのもおかしな話だ。

 たぶん奢ってくれそうなので、ありがたく買ってきてもらうことにした。
 遠ざかっていく凌は私のために行ってくれてるのに、なぜか寂しく感じてしまう。私ってば、恋してるみたい。してるけど。

 
「ただいま」 
 
 そのままぼーっとしていると、ものの1分後に凌は戻ってきた。速い。

 ここから自販機までは微妙に離れているのに。もしかしなくても走ったのだろう。
 疲れたっていうのは嘘だったの?
 
「紫乃、ちょっと疲れてない?」
「え?いや、そんなことないと思う…」

 さらに、自分が疲れたと言ったくせに、なぜか凌くんは私が疲れていないか心配してくる。
 
 ……馬鹿なの? いや馬鹿か。


 凌は私の額に自分の頭をくっつける。そんなことしなくても、熱なんてないのに。 
 というか、距離が近いせいで、逆に熱が出ると思うんですけど。

「嘘だ。早く帰った方がいいよ」
「っでも…」
「俺が送っていくから」
「……分かった」

 いつにも増して優しい声で、私を説得する凌。
 それがすごく本気だったのと、安定して顔が良かったので、私は大人しく帰ることにした。


 その時は保護者並みに心配されてるなぁ、とか思ってたんだけど──。

 
 
 結局、翌朝になってから私は熱を出した。

 要するに凌の言葉が正しかったということだ。

 
 私が気づかない私のことまで見ていてくれて、分かっていてくれる。
 ………そんな凌が大好き。


◇◇◇


「──って話」 


 長い回想を終えて顔を上げると、いつにもなく真っ赤になった凌と目が合った。

「え、凌くんってば照れてる〜?」 
「紫乃……!」

 こんなに凌が恥ずかしがっているのも珍しいので、ここぞとばかりにいじる。

 翌日、平常心を取り戻した凌から反撃を食らったことは、言うまでもない。