──遡ること2年前、入学式の1週間後。
私は病室で、ベットの上に寝かされた自分を見つめていた。全身包帯でぐるぐる巻きにされており、色んな管に繋がれて、見るだけでも痛々しい。
なのに。
そんな私の手を握りしめて切なそうに見つめ、夕陽の下で涙を流す幼馴染は、今日も安定の美貌を誇っていた。
凌の泣いた姿なんて初めて見た。そもそも、勉強以外は基本的に何事も卒なくこなすタイプだから、泣く機会すら無かったのかも知れない。
「紫乃、」
なぁに?
どうせ私の心の声は凌には聞こえないけど、つい返事をしてしまう。
「ごめん。俺のせいで」
……ううん、凌が謝ることじゃない。私が勝手にしたんだから。
だから、凌の「ごめん」は聞きたくない。というか、聞く筋合いがない。
入学式の翌日の登校中。凌とお互いに憎まれ口を叩きあう、いつも通りで何も変わらない日常。
幼稚園の時から見続けてきた景色だ。
それなのに。
あの日、私は全てを失いかけた。
交通量の多い交差点を渡り終わろうとした時、私の耳はこちらへ迫る車のエンジン音と人々の悲鳴を捉えた。
私は昔から、耳は良かった。
スポーツ万能、顔面国宝(幼馴染評)、その他諸々ハイスペックの凌にだって、勉強と聴力では負けたことがなかった。
…あぁ、自分の凡人度の高さが急に悲しくなってきたわ。
人は窮地に陥った時の判断に、その人らしさ(というか本性)が出るのだという。
愛情に溢れた親が子を庇うように、自分よりも大事にしている恋人を庇うように。
じゃあ、私は。
いつだって日々の真ん中に、凌を据えてきた私は。
考えるよりも先に、体が動いていた。
少し前を歩いていた凌の背中を全体重をかけて突き飛ばす。
そして、無事に歩道へ突き飛ばされた凌と目があった。
驚いた顔をした凌をどうにか安心させようと、へにゃっと笑顔を作った次の瞬間。
強い衝撃を感じて、私の体は横からきた車に撥ねられた。
あまりにも一瞬の間で起こったことだったから、自分のことは守れなかったけど、なんとか凌を逃すことは出来た。良かった。
強く地面に打ち付けられた衝撃を、中学生の頃の体育の授業で習った、柔道の受け身で中和しようとしたけれど、残念ながら私にはそんな運動神経が備わっておらず。
それでも、頭は守れたと思う。…たぶん。
朦朧としていく意識の中で、私が最後に見たのは凌の姿だった。
私もこんな状態なので、はっきりとは見えなかったけど、それでも私の元に駆け寄る幼馴染は、今日も皮肉な程に美しい。
「紫乃──…」
「…っ、こんなことになるなら、最初から……」
嗚咽混じりで私の名前を呼ぶ凌の少し低い声が、私の耳に届く。
この世の何よりも優しい、大好きな音は、次第に歪んでいって。
その後のことは、もう何も分からなかった。
𓈒𓏸𓈒 ☽ ꙳𓂃 ☕︎ 𓈒𓏸𓈒꙳
次に目を開けるとそこは、近所でも大きな病院のものと思しき病室だった。
……目を覚ましたっていうよりかは、幽体離脱しちゃって、自分の体を上から眺めてるっていう表現がたぶん正しいと思うんだけど。
私のベットの近くには、それはもう大量の花が置いてあった。送られてきた花を一つ一つお母さんが捌いてくれているのだろう。
今週はお父さんもお母さんも仕事で忙しいって先週あんなに言ってたから申し訳ない。
普段はそんなことは言わない人たちだから、よっぽど忙しかっただろうに。
てか、花多すぎて、もはや花畑判定だな、これは。
……ちょっと待って。なんか一つだけおかしなものが混じってるんだけど。
本来、ここに絶対にあってはいけないものだ。複数の意味で。
鉢入れの小さな可愛らしい花だった。
しかも白いスミレ。
まず、病人のお見舞いとして用意する花に、鉢入れはアウトだ。
鉢入れ→植物が根つく=寝つく=病気の期間が延びてしまう…てな具合で。
まぁ、ここまでだったらただの馬鹿だ。ちなみに目処は立っている。でも、ここからが本番だ。
なんとその馬鹿は、ただの馬鹿じゃなくてさらなる強運の持ち主なのだ。大方、ギャグの神か無礼の神にでも好かれたんだろう。
説明してしまうと、白いスミレの花言葉が今回の全ての元凶と言っても過言ではない。植物方面に詳しい人は、もう察しがついただろうか。
「乙女の死」
なぜか、白いスミレにはそんな不吉すぎる花言葉がつけられていた。
ちなみに、スミレ全般の花言葉は「小さな幸せ」だ。普通の色なら思いっきりセーフだったのに。
でも、あの馬鹿は花言葉まで考えず、お見舞いとしてわざわざ買ってきてくれたのだろう。
少しでも長い期間、自分が用意した花が私のベットの周りを彩ってくれるように、なんて無駄に気を利かせてこの鉢入れを、白いスミレを選んでくれたのだと思うと嬉しくなる。
色々と残念ポイントはあるけど。いや、どっちかと言えば残念ポイントがほとんどだけど。
𓈒𓏸𓈒 ☽ ꙳𓂃 ☕︎ 𓈒𓏸𓈒꙳
あれから数日が経ち、今日で入学式から1週間と2日。あの馬鹿が用意してくれた、某鉢植えの白いスミレも、凌自身も包帯ぐるぐる巻きの私よりずっと綺麗だった。
喧嘩売ってんのか…?と一度問いただしてみたい。
「紫乃…。紫乃の今の状態についてなんだけど。
医者がさ、もう意識が戻らなくて、ずっと植物状態かもって。俺にも、覚悟はしておけって。」
そっか。そっかぁ……。
これから、私のいない人生を凌は歩んでいくの?今までずっと一緒にいたのに。
この先の凌の未来に、私はいないの?
別に私は、大それた願い事をした訳じゃない。無限の生を望んだ訳でも、億万の富を望んだ訳でもない。
ただ、今まで通りの、ありふれたくだらない日常が欲しかった。
それも。それでさえも許されないと言うのだろうか。
もっと生きたい。
もっと、もっと。
私は、大好きな人たちと一緒に生きていたいだけなのに。
まぁ、植物状態だから一応生きてはいるんだろうけど、ちょっとそれは解釈違いだ。
「紫乃。俺、紫乃が居なくなったらどうすればいいのか分かんない。」
凌が涙を流すのを見て、私の目からもポロポロと涙が溢れる。
もはや、幽体離脱先の魂の方が泣いているのか、それとも本体に染み付いた意思の方が働いているのか分からない。あるいは、両方かもしれない。
──私、どんな手段を使っても凌と一緒にいたいよ…。
そんな私の願いが届いたのか、どこからか声が聞こえた。
「その望み、叶えてやらんこともない」
………誰ですか?と聞きたいのを我慢して、ここは先程の言葉に少し大げさにリアクションしてみる。
「本当ですか!?」
「ああ。我と契約をしよう」
「契約、というのは?」
「我は、お前の怪我を治す。で、お前はその命を悪魔である我に捧げ、生涯我の元で働く。まぁ、こう言ってはいるが、実質死ぬようなものだな」
ちょっと待って、今聞き捨てならない一言が聞こえたような気がする。
「え、?せっかく助けてもらえるのに、」
「ただし、だ。お前が19歳の誕生日までに結婚出来たら、見逃してやらんこともない」
「それは…どういう意図で」
「くくくっ、その内に分かると思うぞ。」
どういう意味だろうか。必死に頭を働かせるが、何も思い浮かばない。
とにかく、目の前の悪魔とやらが言うように、今考えても無駄なのだろう。だとすれば、選択肢は一つしかない。
「契約、させてください。お願いします」
こうして私は悪魔アモールとの契約に応じ、なんとか一命を取り留めたのであった。
私は病室で、ベットの上に寝かされた自分を見つめていた。全身包帯でぐるぐる巻きにされており、色んな管に繋がれて、見るだけでも痛々しい。
なのに。
そんな私の手を握りしめて切なそうに見つめ、夕陽の下で涙を流す幼馴染は、今日も安定の美貌を誇っていた。
凌の泣いた姿なんて初めて見た。そもそも、勉強以外は基本的に何事も卒なくこなすタイプだから、泣く機会すら無かったのかも知れない。
「紫乃、」
なぁに?
どうせ私の心の声は凌には聞こえないけど、つい返事をしてしまう。
「ごめん。俺のせいで」
……ううん、凌が謝ることじゃない。私が勝手にしたんだから。
だから、凌の「ごめん」は聞きたくない。というか、聞く筋合いがない。
入学式の翌日の登校中。凌とお互いに憎まれ口を叩きあう、いつも通りで何も変わらない日常。
幼稚園の時から見続けてきた景色だ。
それなのに。
あの日、私は全てを失いかけた。
交通量の多い交差点を渡り終わろうとした時、私の耳はこちらへ迫る車のエンジン音と人々の悲鳴を捉えた。
私は昔から、耳は良かった。
スポーツ万能、顔面国宝(幼馴染評)、その他諸々ハイスペックの凌にだって、勉強と聴力では負けたことがなかった。
…あぁ、自分の凡人度の高さが急に悲しくなってきたわ。
人は窮地に陥った時の判断に、その人らしさ(というか本性)が出るのだという。
愛情に溢れた親が子を庇うように、自分よりも大事にしている恋人を庇うように。
じゃあ、私は。
いつだって日々の真ん中に、凌を据えてきた私は。
考えるよりも先に、体が動いていた。
少し前を歩いていた凌の背中を全体重をかけて突き飛ばす。
そして、無事に歩道へ突き飛ばされた凌と目があった。
驚いた顔をした凌をどうにか安心させようと、へにゃっと笑顔を作った次の瞬間。
強い衝撃を感じて、私の体は横からきた車に撥ねられた。
あまりにも一瞬の間で起こったことだったから、自分のことは守れなかったけど、なんとか凌を逃すことは出来た。良かった。
強く地面に打ち付けられた衝撃を、中学生の頃の体育の授業で習った、柔道の受け身で中和しようとしたけれど、残念ながら私にはそんな運動神経が備わっておらず。
それでも、頭は守れたと思う。…たぶん。
朦朧としていく意識の中で、私が最後に見たのは凌の姿だった。
私もこんな状態なので、はっきりとは見えなかったけど、それでも私の元に駆け寄る幼馴染は、今日も皮肉な程に美しい。
「紫乃──…」
「…っ、こんなことになるなら、最初から……」
嗚咽混じりで私の名前を呼ぶ凌の少し低い声が、私の耳に届く。
この世の何よりも優しい、大好きな音は、次第に歪んでいって。
その後のことは、もう何も分からなかった。
𓈒𓏸𓈒 ☽ ꙳𓂃 ☕︎ 𓈒𓏸𓈒꙳
次に目を開けるとそこは、近所でも大きな病院のものと思しき病室だった。
……目を覚ましたっていうよりかは、幽体離脱しちゃって、自分の体を上から眺めてるっていう表現がたぶん正しいと思うんだけど。
私のベットの近くには、それはもう大量の花が置いてあった。送られてきた花を一つ一つお母さんが捌いてくれているのだろう。
今週はお父さんもお母さんも仕事で忙しいって先週あんなに言ってたから申し訳ない。
普段はそんなことは言わない人たちだから、よっぽど忙しかっただろうに。
てか、花多すぎて、もはや花畑判定だな、これは。
……ちょっと待って。なんか一つだけおかしなものが混じってるんだけど。
本来、ここに絶対にあってはいけないものだ。複数の意味で。
鉢入れの小さな可愛らしい花だった。
しかも白いスミレ。
まず、病人のお見舞いとして用意する花に、鉢入れはアウトだ。
鉢入れ→植物が根つく=寝つく=病気の期間が延びてしまう…てな具合で。
まぁ、ここまでだったらただの馬鹿だ。ちなみに目処は立っている。でも、ここからが本番だ。
なんとその馬鹿は、ただの馬鹿じゃなくてさらなる強運の持ち主なのだ。大方、ギャグの神か無礼の神にでも好かれたんだろう。
説明してしまうと、白いスミレの花言葉が今回の全ての元凶と言っても過言ではない。植物方面に詳しい人は、もう察しがついただろうか。
「乙女の死」
なぜか、白いスミレにはそんな不吉すぎる花言葉がつけられていた。
ちなみに、スミレ全般の花言葉は「小さな幸せ」だ。普通の色なら思いっきりセーフだったのに。
でも、あの馬鹿は花言葉まで考えず、お見舞いとしてわざわざ買ってきてくれたのだろう。
少しでも長い期間、自分が用意した花が私のベットの周りを彩ってくれるように、なんて無駄に気を利かせてこの鉢入れを、白いスミレを選んでくれたのだと思うと嬉しくなる。
色々と残念ポイントはあるけど。いや、どっちかと言えば残念ポイントがほとんどだけど。
𓈒𓏸𓈒 ☽ ꙳𓂃 ☕︎ 𓈒𓏸𓈒꙳
あれから数日が経ち、今日で入学式から1週間と2日。あの馬鹿が用意してくれた、某鉢植えの白いスミレも、凌自身も包帯ぐるぐる巻きの私よりずっと綺麗だった。
喧嘩売ってんのか…?と一度問いただしてみたい。
「紫乃…。紫乃の今の状態についてなんだけど。
医者がさ、もう意識が戻らなくて、ずっと植物状態かもって。俺にも、覚悟はしておけって。」
そっか。そっかぁ……。
これから、私のいない人生を凌は歩んでいくの?今までずっと一緒にいたのに。
この先の凌の未来に、私はいないの?
別に私は、大それた願い事をした訳じゃない。無限の生を望んだ訳でも、億万の富を望んだ訳でもない。
ただ、今まで通りの、ありふれたくだらない日常が欲しかった。
それも。それでさえも許されないと言うのだろうか。
もっと生きたい。
もっと、もっと。
私は、大好きな人たちと一緒に生きていたいだけなのに。
まぁ、植物状態だから一応生きてはいるんだろうけど、ちょっとそれは解釈違いだ。
「紫乃。俺、紫乃が居なくなったらどうすればいいのか分かんない。」
凌が涙を流すのを見て、私の目からもポロポロと涙が溢れる。
もはや、幽体離脱先の魂の方が泣いているのか、それとも本体に染み付いた意思の方が働いているのか分からない。あるいは、両方かもしれない。
──私、どんな手段を使っても凌と一緒にいたいよ…。
そんな私の願いが届いたのか、どこからか声が聞こえた。
「その望み、叶えてやらんこともない」
………誰ですか?と聞きたいのを我慢して、ここは先程の言葉に少し大げさにリアクションしてみる。
「本当ですか!?」
「ああ。我と契約をしよう」
「契約、というのは?」
「我は、お前の怪我を治す。で、お前はその命を悪魔である我に捧げ、生涯我の元で働く。まぁ、こう言ってはいるが、実質死ぬようなものだな」
ちょっと待って、今聞き捨てならない一言が聞こえたような気がする。
「え、?せっかく助けてもらえるのに、」
「ただし、だ。お前が19歳の誕生日までに結婚出来たら、見逃してやらんこともない」
「それは…どういう意図で」
「くくくっ、その内に分かると思うぞ。」
どういう意味だろうか。必死に頭を働かせるが、何も思い浮かばない。
とにかく、目の前の悪魔とやらが言うように、今考えても無駄なのだろう。だとすれば、選択肢は一つしかない。
「契約、させてください。お願いします」
こうして私は悪魔アモールとの契約に応じ、なんとか一命を取り留めたのであった。



