初恋にはブラックコーヒーを添えて



 迎えた文化祭当日。私となずなは体育館の舞台袖から客席を覗いていた。



「あ!なずな、あれ、西園寺くんじゃない?」
「ほんとだ!来てくれたんだぁ…嬉しい……」



 はしゃいで手を振るなずなに気づいた西園寺くんは、優しく微笑んでいる。なんというか、世界は平和だなと思った。

 是非とも2人には、このまま世界の安寧を保ち続けて欲しい。


「これが、あたしたちの最後のステージになるんだよねぇ…」
「そうだね…。なんか緊張してきちゃった。」 


 この後ステージに立つのもなんだか不安になって、さっき誰かが指差していた方向に凌の姿を探す。
 
 探し始めて僅か3秒、私は早くも凌を視界に捉えた。西園寺くんと小突き合いながら、すごく楽しそうにしている。
 さすが学園トップの美青年2人というべきか、周りの女子たちは頬を真っ赤に染めて凌たちを、うっとりと見つめている。
 

 先程なずなと西園寺くんのやり取りを見た時とは違い、なんだか胸がちくりとした。
 
 
 凌は、女子たちの熱を帯びた視線に気づく気配はない。それどころか、いつもよりも破壊力抜群の笑顔を浮かべている。
 

 まともに直視できないような、眩しい表情に、女子たちは悲鳴を上げ、その中の一部は気絶していた。

 凌を直視しようとするからそうなるんだよ。ほら、小学校の時の理科で太陽とか、光源は見ちゃ駄目って習ったよね?

 
 続々とドミノ状態で倒れていく女子を見て、当人の凌は首を傾げている。
 この惨状を、まさか自分の凄まじい美貌が引き起こしたとは思ってもいないのだろう。



 そんな凌が、なんだか気に入らない。自分の顔がいいことを自覚してるなら、あんなに気安く最高純度の笑顔を振りまかないで…。


 もちろん、凌を縛り付けるつもりは全くないし、凌には余計なことは気にせずに、ただひたすら幸せになって欲しいと心から思っている。

 でも、少しくらいは気にしてくれたっていいじゃないか。
 こんなこと、ただの幼馴染でしかない私が言ったら迷惑かな。


 女子たちの視線に気づかない凌が憎らしいし、誰よりも大切なはずの凌に対して否定的な感情を抱いた自分が嫌いだし、許せない。



 感情がごちゃ混ぜになって、苦しかった。すごくすごく苦しかった。


 そんな私が、救いを求めて縋るように見つめてしまうのは、やっぱり凌で。
 ふいに凌がこちらを向く。……私の視線に気づいてくれたのだろうか。いや、さすがにそれはないか。

 

 凌は私の目を見て、にこりと笑ってから口を動かした。
 
『だ』
『い』
『じ』
『ょ』
『う』
『ぶ』



 ──あぁ、凌はいつだって、私がその時欲しい言葉をくれるよね。私のことを、馬鹿呼ばわりしてくれやがったこともあったけど。
  

 凌の言葉(と言っていいのか)に、心がすっと軽くなって、少しだけ切ない気持ちになった。

 私は、胸の中に渦巻く、この感情を知っている。甘いだけじゃなくて、ブラックコーヒーよりも苦くて、キュンと切なくて、それでいて、微かに安心するような。



 漫画でも小説でも何度も何度も見た、ありふれていて、特別なこの感情の名前は──、

 
「紫乃!もうすぐで本番だって!!」

 
 不意になずなの声が聞こえ、我に返る。そうだ、私は文化祭のライブの待機中だった。

 
「分かった!今行くね!!」


 最後にもう一度だけ凌の顔を見てから、私は客席に背を向けて駆け出す。
 脳内ではずっと、いつかの凌の寂しそうな声が響いていた。
 
 


『ねぇ、紫乃。紫乃は、そんな“可哀想”な俺に何をくれるの?』
『……俺のこと、好きになって』



 好きだよ。



 ずっと認めたくなかったけど。
 それも、“誰よりも大切な幼馴染”って関係が壊れるのを恐れていただけな気がするから。
 


 凌への恋心をようやく自覚したけれど、私はこの気持ちを今すぐには伝えない。
 だって私が凌に渡したいのは、こんな気づきたての曖昧な気持ちじゃない。


 黙って10数年も側にいてくれた凌に応えられるような、もっと深くて温かい感情だから。




 幕が上がって、客席に歓声が響く。

 ドラムの合図と共に、耳にタコができるまで聞いた大好きなメロディーを奏でる。なずなが選曲した、芽生えたての恋を歌った、初心なラブソングだ。

 この曲を文化祭で演奏することが決まった時に、バンドメンバーたちが生暖かい視線を向けていた先は、なずなだと思っていたのだが。なずなの透き通った歌声を聞きながら気づいてしまった。



 …これ、私じゃんか。
 凌への好意を自覚した今、歌詞のひとつひとつが心に刺さる。

 まぁ、後でメンバーたちには仕返しするとして。
 今はこのステージを全力で楽しんでやる。

 
 “貴方をひたすらに見てる”なんて一途な歌詞に合わせて、私は客席の凌を見る。

 
 すると、私をずっと見ていたと思しき凌と目があった。
 その瞳に見つめられると、不思議と全てを見透かされているような気分になる。
 


 きっと気のせいなんだろうけど、凌は人の感情にはものすごく鋭いからなぁ…。
 自分ですら気がつかなかったような、ちょっとした感情にも気づいてそっと隣に居てくれたのも凌だった。

 
 本人から問い詰められることはなくても、実は勘づかれていたりしないだろうか。

 
 でも、今日も世界の誰よりも綺麗な恋人は、私の恋心にはまだ、気づいていないようだった。