初恋にはブラックコーヒーを添えて

 凌にまさかの告白をされて、さらになずなから裏が取れてしまった翌日。


 なずなたちは例によって、ご飯を作りに行ってくれている。今日も2人の背後には後光が見える。

 そんな素晴らしい2人が、所詮契約交際に過ぎない私と凌より早く幸せになってくれることを願うばかりだ。

 
 そして、私は今、凌と2人きりで勉強をしている…はずだった。が、しかし。


「で?話って何?」


 私の目の前のテーブルに頬杖をつきながら凌が尋ねてくる。


 今日も相変わらず、美術の教科書に載っているどんな芸術作品より綺麗な顔をしている凌はきっと、自分の顔がいいことを分かってやっているのだろう。 

 本当にタチが悪い。

 
 昨日から誰も突っ込まないが、勉強のための時間なのに、この時間が正しく使われたことがないのは何故だろう。

 宿題が終わらなかった場合は、私のを写そうとしている凌はともかく、今日は私から貴重な勉強時間を潰しにいった。
 昨日からずっと気になっていたことを聞いてみようと思ったのだ。
 

「…凌は、ほんとにいいの?」


 いくら凌が、私のことを好きだとしても、凌は私と結婚して幸せになれるのだろうか。


 凌には、誰よりも幸せになってほしい。だからこそ、ちゃんと想い合っての幸せな結婚をしてほしい。

 その相手が、私じゃなかったとしても、だ。
  

「何が?」
「私で」
「…はぁ。俺は紫乃がいいのに」


 凌はその口元に綺麗な弧を描き、優しく告げる。
 そして悲しげに目を伏せた…だと!?

 …くっ、凌を見慣れたはずの私でも今のは危なかった。なんだ、さっきの破壊力。


 こいつ、全力で私を落とす気だ。

 
「…そうじゃなくて」
「え?」


 不思議そうに首を傾ける凌は今日もかっこいい。


 いつもの100倍くらい真面目な瞳に見つめられて、なんだか申し訳ない気持ちになった。
 私が凌に恋愛感情を持っていないことが、すごく悪いことに思えて。
 
 
 本当に私は、私の一方的な事情で凌を拘束してしまっていいのだろうか。
 

「私は凌のこと、その…恋愛の意味の好きじゃないのに、」
「それでも俺は紫乃がいい。紫乃の隣がいい」
「…なんで」


 私は、死にたくないから、生きるための手段として凌と結婚する。


 でも凌は?


 好きな人と結婚できるのに、相手は自分のことを友達としか見ていない。


 そんな悲しいこと、あるだろうか。

 恋愛はギブアンドテイクではないとは言うけれど、それにしてもあんまりだ。


「俺は紫乃が好きだから」
「でも、それじゃあ凌は」



 それじゃあ凌は可哀想じゃないか。



 そう言おうとしたけどやめた。

 だって、凌は自分の想いが報われないかもしれないことなんて最初から分かっていて、それでも、私に手を差し伸べてくれたんだから。

 
「あぁ、もしかして俺が可哀想だと思った?」
「…ごめん」



 図星すぎて謝ることしか出来ない私に、凌は意地悪そうな笑みを浮かべる。何だか嫌な予感しかしない。



「ねぇ、紫乃。これまで俺、よく頑張ったと思わない?」


 それから凌は、ポツリポツリと過去の話を始めた。


 凌が私のことを好きだと明確に意識するようになったのは、4歳の時だったこと。
 
 自分の気持ちが私を困らせることがないように、心の奥にしまっておくと幼ながらに決意したこと。

 それから何年間も私と過ごしたけれど、やっぱり恋心が消えることはなくて、ずっと苦しかったこと。
 

 そして…高1の時、私が車に轢かれたのを見た瞬間、息が詰まるような気持ちになったこと。


 私の代わりに自分が怪我を負えば良かったのに、と何度も何度も思ったこと。


 
 自分を突き飛ばした時の私の顔が、どうやっても頭から離れず、毎日夢で見たこと。

 
 好きだと伝えられなかったことを後悔したこと。

 だから、私の悪魔(アモールさん)との契約を聞いた時は、神様が自分に与えてくれたチャンスだと思ったこと。
 


「俺は、ずっとずっと紫乃が好きで、紫乃だけを想ってきたんだよ」



 凌に真っ直ぐと見つめられ、全てを見透かされているような気がする。

 それなのに、何故か目がそらせない。
 トクン、トクンと心臓がまたスピードを上げて音を立てる。


「私、何も知らなかった…」


 凌が私を好いていてくれたことも、私のためにそれを隠しておいてくれたことも。沢山迷惑もかけたと思うし、沢山心配もさせた。

 でも、凌は何も言わずに側にいてくれた。



 凌が私をずっと近くで見ていてくれたことを、私はもっと感謝するべきだった。
 凌と私は友達だからと当たり前のように享受していたものは、凌の我慢の上に成り立っていたのだ。



 今思えば、アモールさんがチャンスをくれたのは、私ではなく、凌のためだったのだろう。



「ごめん。ごめんね、凌。私、凌の気持ちも知らずに……」


 凌の気持ちも知らずに現状に甘えて、凌の努力も知らずに可哀想だなんて言ってごめん。
 

「ねぇ、紫乃。紫乃は、そんな“可哀想”な俺に何をくれるの?」

「そうだね…。明確には言えないんだけど。これから、凌がくれた沢山のものを、凌とアモールさんがくれた時間の中で少しずつ返していけたらな、って」


 凌の話を聞いているうちに思ったことを正直に伝える。すると凌は、何故か困ったように微笑んだ。


「……俺のこと、好きになって」
「え?」
「ごめん、好きになろうと思ってなれるものじゃないよね。忘れて」
 

 凌は切なそうに告げる。そんな凌を見ていると胸が苦しくなってくる。

 やっぱり、凌には笑っていて欲しい。
 

 だから私は、ふざけたように言った。
 

「私のこと落とそうと思うなら、もっと全力でかかって来ないとだよ?」
「…ふっ、そうだね。覚悟しててね?紫乃」


 凌は、今日も誰よりも綺麗なその笑顔を私だけに向けてくれる。それが実は嬉しいかも、なんて凌には絶対に言ってやらないし、言える勇気もないけど。
 

 凌がまた少し、顔を近づけてきた。

 あまりの距離の近さに顔が熱を帯びていく。そんな私を見た凌は、嬉しそうに目を細めている。

 
 …あぁ、駄目だ、これ。心臓が持たない。



 

 自分でも気づかないうちに、私はもう、凌に落ちかけているのかもしれない。