一途な皇帝陛下の秘恋〜初心な踊り子を所望する〜


「そうか…それは勿体無かったな。」
そう独り言のように言って、やっと身体を起こしてくれる。
香蘭はハッとして手に持ったままの布巾で、晴明の濡れてしまった頰を拭く。

「して、なぜ香蘭は泣いていた?」
ここで初めて春蘭に目を向け彼女に問う。

先程の2人の会話を聞いていたのだから分かってはいるが、そんな攻めるような言い方はないと、少し避難めいた目で見てしまう。

「あっ、あの…春蘭です。私の同期になります…。」
香蘭は慌てて春蘭を紹介する。

「知っている。この一座で1番の踊り子だろう。」
訝しげな目線はそのままで晴明は淡々と言う。

「初めてお目にかかります、春蘭と申します。
単刀直入に申します。貴方は何者ですか?」
ズバズバといつもありのままで話す春蘭は、晴明を前にしても怯む事なく堂々としている。

「私は晴明と申します。香蘭、いや鈴蘭のいちファンであり婚約者です。」
晴明もまた、威厳に満ちた態度でそう答える。

「それは見ていたら分かります。
そうでは無くて貴方は何者かと聞いているのです。」
棘のある言い方は誰を前にしても変わらない。
晴明を睨み付け今にも食ってかかりそうだ。

「しゅ、春蘭、晴明様は…事情があって…その、むやみに身分を明かす事が出来ないの。」
香蘭は慌てて2人の間に入って、この淀んだ空気変えようと必死に喋る。

「だから…その、婚約した事をあなたに言う事が出来ず…ごめんなさい。」

春蘭は、香蘭をひと睨みしてから晴明を見て、
「香蘭は黙っていて。そんな事はどうでもいいの。

私が許せないのは、婚約してもなおこの一座にのこのこと戻って来て、何食わぬ顔で踊り子をしてる事よ。婚約者だかなんだか知らないけど、させてる貴方も貴方だわ。」
明確に指摘され、しかも晴明に凄むから香蘭はあたふたしてしまう。

「晴明様は…私の思いを大事にしてくれただけなの。…私はただ…今までの全てが無になってしまうようで、怖くて…最後までご奉公のつもりで…勤めたいと思って…。」

そう思っていたけれど…
結果として大事な人の命を晒し、国の為の軍部にも守られていた事に気付いた今、罪の意識で一杯の香蘭は、徐々に気持ちが落ち込んでいく。

「私が…私が悪いのです…。
晴明様にも怪我を負わせてしまい…周りの方達にもご迷惑を…全て私が不甲斐無く…何も知らぬまま…踊り子を続けたいと、言った私が…。」
香蘭は言葉を詰まらせ、また涙を流し始める。

「貴女のそういう女々しいところが大っ嫌い。
だから、私は貴女より上にいたいといつだって努力を重ねて踏ん張って来たわ。
さぁ、気付いたのなら早くここから去って行ってちょうだい。あの、収穫祭の一連は貴女のせいだっていうのなら、よくノコノコと帰って来れたわね。」

春蘭の怒りの矛先は、再び香蘭に降り注ぐ。

「春蘭殿、口が過ぎる。香蘭を攻めるのは分が違う。

責めるべきは香蘭をつけ狙う得体の知れない者達であり、奴らの思惑通りになる事はその力に屈する事になるゆえ、私としては、変わらず踊り子を続ける事に意味があると思っての事だ。」

晴明が静かな声で、それでもその眼差しは強く、春蘭に抗議する。

「貴方は見たところ、お金持ちのボンボンのようだけど…芯はしっかりしてそうね。
だけど、私の気持ちは変わらないわ。たとえどんなにお金を積まれても、ここから一刻も早く去ってちょうだい。目障りだわ。」

「なるほど。この一座の看板である貴女は、勝気で一癖も二癖もあるのだな。この場所で、香蘭が腐らず溺れず生きて来れたのは、そなたのお陰でもあったと言う事か…。」
晴明はフッと笑う。

香蘭は彼の懐の深さを見た気がした。
普通、目下の小娘から可愛げなくこのように物申されては、いい気はしないし腹立たしいだけなのではと思うのに、晴明は笑ったのだ。

しかも、香蘭が今まで綺麗な心のまま無事に生きてこられたのは、春蘭のお陰だと賞賛にも似た眼差しを向ける。

それに怯んだのは春蘭の方で、
「何よ…なんで笑ってるの?
鈴蘭の事なんて何も思ってないわよ。ただいつも目障りで、泣き虫で、迷惑なだけだったから…やっと堂々と敵視できて、せいせいしたわ。」

どこまでも強気な春蘭だが、晴明はまた彼女の中に正義を見出していた。
これまでもきっと香蘭が落ち込み泣き沈む時、こうやって勝気に叱咤激励をしていたのだと、そう思うと感謝の念も湧いてくる。

「そなたがそうやって叱咤激励してくれたから、今ここに香蘭は居られるのだな。礼を申す。今まで彼女が彼女らしく生きてこられた事は、そなたが守ってくれていたからだと、今確信した。そうだろう香蘭。」

ここでやっと晴明は緊張を解いて、柔らかな目線を香蘭に見せる。

「そうなのです。春蘭は…口は少し悪いけど、曲がった事が嫌いで、いつだって座長に立ち向かってくれる、真っ直ぐとした気持ちの持ち主なのです。」
晴明が春蘭を理解してくれた事に嬉しくて、香蘭は尊敬の眼差しをも向ける。

「まぁ、俺としては香蘭のしたい様にしてくれたら良い。このまま一座にいても構わぬし、一緒に帰ってくれても良い。そなたは自由だ。誰に従うべきでもない。」
そう言って、香蘭に考える時間を与えてくれる。
晴明はいつだって、香蘭の思いを大事にしてくれるのだ。

「あなたが一言、帰るぞって言えば良いんじゃなくて?」
幾分気持ちの温度を下げた春蘭が、その晴明の曖昧さに苛立ち一言物申す。

「俺は、彼女のいちファンなのだ。舞台に出ている彼女も好きだし、辞めたくない気持ちも理解しているつもりだ。自分の気持ちを押し付けて無理強いさせるつもりはない。」
それが晴明の1番の想いであり、香蘭を愛するがゆえに言える言葉なのだ。

「ふーん。まぁ、良いわ。私に害がないのなら、勝手に着いて来ればいいし…鈴蘭の思うままで…。」

春蘭はどこまでもツンデレで、誰よりも実は香蘭の事を思う。

「私は…もうここにはいられないと思っています。
ここにい続けても、周りの皆さんに迷惑がかかるだけですし…何より、晴明様にこれ以上ご負担はかけらません…。」

「香蘭、ひとまず今は頭が混乱している筈だ。
返事は王都に着いてからで良い。敵も痛手を負ったはずだから、しばらく攻撃して来ないだろう。
よく考えてみると良い。自分がどうしたいのか、このさい周りのことは気にするな。そなた自身が、後になって後悔せぬようにする事が大事だ。」

アドバイスのようにそう言う晴明は、十も二十も年が上に見えてくるほど貫禄も威厳も持ち合わせている。その大物感に春蘭は初めて恐怖を覚える。

もしかして…この人は私が思うよりももっと身分の高い方なのではないだろうか…?
そう思うと今までの無礼を少しならず心配になる。