階段を一気に駆け上がる。
 302号室、3階だろう。
 302……302……

 「あった!」

 荒い呼吸を収めようとする。
 集中治療室はどこ?
 見当たらない。

「はあ、はあ、はあ」

 302号室のプレートを見る。
 「宝生秀一」と書いてあった。
 私はドアをノックする。

「どうぞ」

 中から女性の声がした。
 あれ? この声って……

 私はドアを開けて、中に入った。
 すると……ベッドの上で宝生君が横になっていた。
 片方の足には包帯が巻かれて、少し高く上げられていた。

 その横で、柚葉が満面の笑みで座っている。

「18分53秒! はい、私の勝ちー。宝生君、マクド奢ってよ」

 柚葉が弾んだ声で、そう言った。

「ね? だから言ったでしょ? 柚葉だったら、走って20分以内に来るって」

「……驚いたな……」

「中学の時ね、長距離ランナーで早かったんだよ、華恋」

 そういうと柚葉は立ち上がり、立ち尽くしていた私のそばに寄ってきた。

「素直にね。華恋」

 柚葉は私の肩をポンと叩いてそう言うと、宝生君に「それじゃあね」とだけ言って病室を出ていってしまった。


 どうやら騙されたようだった。
 私は肩で息をしながら、茫然自失だった。

「座ったらどうだ?」
 宝生君は、そう言った。

「生きてた……」
 私はそう呟いた。

「よかった……生きてた……本当に……よかった」

 ほっとして立ち尽くしていた私は目から、大量の水が流れ始めた。
 涙は幾筋も幾筋も流れ、止まることはなかった。
 私は大声で泣いた。
 嗚咽が、病室内に響いた。

「人を幽霊みたいに言うな」

「なによ! 本当に死んじゃうって思ったんだから! もうどうしようって!」

 私はベッドの横に駆け寄った。
 そして彼の胸をポカポカと叩いてやった。

「お、おい、こっちはケガ人だぞ!」

「本当に死んじゃうって思ったんだから! 死んじゃったらどうしようって! 助けてくれたお礼も言えてないって! 他にも言いたいこと、たくさんあったんだから! もう、どうしようって!」

「月島」

 彼は大泣きしている私を、そっと抱きしめてくれた。
 包み込むように。
 優しく優しく抱きしめてくれた。
 
 私は泣いた。
 泣き続けた。
 彼の腕の中で。


「月島。お前、俺のこと好きだろう」

「好きだよ、バカ!」


 私は即答した。


「なっ……え?」

「好きだって、言いたかったんだよ! ずっと言いたかったんだよ! 助けてくれて、ありがとうって! 死んじゃったら、言えないじゃん! お母さんみたいに死んじゃったら!」

 私は嗚咽の中、大声でそう言っていた。
 彼は私を抱きしめながら、優しく背中をさすってくれていた。

 どれくらい、そうしていただろう。

「月島」 

 私は宝生君の胸から顔を起こして、彼の顔を見つめる。
 彼の手が、私の頬に優しく添えられた。


「月島。俺と付き合ってくれ」

「え……」

「返事は? ハイかYesかどっちだ?」

「……Noは選択できないんだね」

「当たり前だ」

「私でいいの?」

 彼はいつもの柔らかい笑みを浮かべた。

「どうやらお前じゃなきゃ、駄目みたいだ」

「宝生君……」

 そのまま彼の整った顔が、ゆっくり近づいてきた。
 私は本能的に、目を閉じる。

 私の唇と彼の唇の距離が、ゼロになった。

 彼の顔が離れる。
 私はそのままうつ向いた。
 恥ずかしくて、彼の顔を見られなかった。

「月島」

 彼はもう一度私にキスをした。
 今度はなんだか……力強い。
 彼の舌が、私の唇を割って入ってきた。
 私は焦ったが……力が入らない。

「んっ、んーー」

 私はたまらず、彼の胸を何回もタップする。
 彼が気づいて、唇を離してくれた。
 2人とも息遣いが荒い。

「わ、悪い……」

「も、もう……初心者をいきなり上級コースに連れていかないでよ……」

「すまん……つい……」

「こっちは初めてなんだからね……」

「お取り込み中のところ、失礼します」

「おわっ」「きゃっ」

 私たちは、とっさに離れた。
 声がする方を見ると、入口付近に執事服に身を包んだ男性が立っていた。

「よ、吉岡。いつの間に」

「先程からおりましたよ」

「……どこから聞いてた?」

「そうですね、『本当に死んじゃうって思ったんだから!』っていうあたりからですかね」

 その男性が私の声マネをした。
 それが無駄に似ていた。
 私は赤面したまま、俯くしかなかった。

「最初からかよ……」
 宝生君が、はぁーっとため息をつく。

「そ、そうだ、ちょうどいい。吉岡、例のものを今持ってるか?」

「避妊具ですか?」

「違うわ! それは……もうちょっと後だ」

「あ、後でも使わないわよ!」

「使わなくていいのか?」

「そういう事じゃないでしょ!」

 何の話よ……。
 だから初心者を置き去りにしないでほしい……。
 ていうか、この人が吉岡さんって人だったんだ。
 宝生君の教育係の人だっけ。

「冗談です、秀一様。こちらにございます」

 そう言って吉岡さんは、A4サイズの封筒を執事服の胸ポケットから出してきた。
 ちょっと……なんでそんなに大きなものが、そこから出てくるの?
 それを宝生君に渡すと、吉岡さんは「失礼します」と言って部屋を出ていった。