数日後。
早川先生と2人で会うことなく過ごしていたある日。


私は数学科準備室に来ていた。



何週間ぶりかな。久しぶりの数学科準備室。
当たり前だけど、何も変わっていないこの部屋。そして何故か私はこの部屋に安心感を(いだ)く。


私にとって大切な場所となっていた。
 




今日、私が数学科準備室に来た理由。
それは、バレンタインデーだから。



先生にチョコレートを渡すくらい、良いよね。
渡したらすぐ帰るつもりで、待機していたのだった。
 





数学準備室に来て10分後、部屋の扉が開いた。

「………え、藤原さん」

入ってきた早川先生は目を見開いて驚いた顔をした後……涙を零した。

「え、何で!?」
「夢みたいです…」

目を拭いながら扉を閉め、私の隣に来た。

「先生…かなり精神的にやられていませんか。大丈夫ですか?」
「すみません、大丈夫です。ところで、今日はどうされましたか」

涙を拭いながら平常心を保とうとする先生が可愛い。


そんな先生を見ながら私は、鞄から無言で箱を取り出した。
中身はチョコレートケーキ。


一応、手作り。


わざとらしくピンク色のラッピングを(ほどこ)してみた。


「バレンタインデーです。どうしても渡したくて待っていました。用事はこれだけですけれども…」


先生の目からまた涙が零れた。
今日の先生はいつも以上に涙腺が緩すぎて心配だ。

「あぁ…嬉しいです。藤原さん、ありがとうございます」

泣き顔で微笑みながら受け取ってくれた。



本当に愛おしい。
先生が可愛すぎて抱きつきたくなるが、そんな感情は理性でねじ伏せる。




「では、帰りますね」
「…はい。ありがとうございました」


本当はもっと話したい。
抱きつきたい。

きっと先生もそんな感情があるだろうが、学校内では我慢。


これは、私と先生の恋愛を守るための、必須事項。






…あ、そう言えば。




「ねぇ先生。因みに、これで何個目ですか?」
「…はい?」
「総合計」

そう言うと、何かを察した先生は口を尖らせた。

「…藤原さん。怒りますよ」
「何で!!」
「僕は生徒から人気(にんき)のあるタイプではありません。知っているでしょう」



ふぅん。



別に私は、生徒に限った話をしていないけどね。

裏を返せば、生徒以外はある…ということになるのだが。先生、気付いていない?




あるのでしょう、他にも。






不満そうな目でジーと見つめると、先生は堪忍(かんにん)したように目を閉じて言った。



「…2個目です」

呟くように先生は言った。睦月先生です…と。



出たよ、忘れていた私の脅威。
私と早川先生を別れさせようとした人。というか一度別れたけれども。


「ただ、睦月先生とは何もありませんから。本当に。受け取る時も、一度お断りしたのですよ」


必死に弁解する先生。
いつも私がそっち側だから、聞いていて新鮮だ。



本当はもう少し意地悪をしたいけれど、止めておこう。

「…もちろん。理解しています」


そう答えると、先生は微笑みながら私の背中を優しく叩いた。


「藤原さんも、ヤキモチ妬きですか?」
「先生とは違いますから。別に妬きません」
「そんなのダメです。妬いて下さい」
「強要するものではありませんけれども!?」


そう言いながら私も先生の背中を叩くと、先生は噴き出すように笑った。
 

穏やかな空気に包まれた数学科準備室。
心地(ここち)が良くて、帰りたくなかった。