若旦那はいつものペースに戻って、早速玄関ホールでダンスの稽古を始める。

今日の莉子と亜子はダンスの練習用に急きょ買ったロングワンピースを着ている。着慣れない事もあり2人共足元がおぼつかない。

「歩く時はスカートを手で少し摘んで歩くといい。多少歩きやすくなるし、優雅で上品にも見えるから。」

男性である若旦那からそんな風に、淑女の振る舞いを習うのは少し気恥ずかしさを感じたが、それは始めだけで、覚える事が沢山あり過ぎてそれどころではなくなっていった。

「じゃあ、莉子ちゃん。まずは左手を僕の肩に、右手はこうやって繋いで…。」
莉子は言われる通りに、若旦那の前に立ちワルツの基本ステップを教わる。

よく考えれば大人になってから、こうやって司以外の異性と触れ合う事はまず無かったから、どうしたって緊張してしまう。

「莉子ちゃん、顔を上げて僕と目線を合わせて。」
近い距離感が恥ずかしくてなかなか顔が上げられないでいる莉子を、若旦那は優しく指導してくれる。

司よりも少し背が低い若旦那の視線は近くて、目線を合わせるだけで照れてしまう。

「足元は見ないで視線は真っ直ぐ相手を見て、背筋を立たせて…そう、いい感じ。」

ステップを教わる中、莉子も段々覚える事に夢中になっていった。

亜子と交代で若旦那と組みながら、基本のステップを教わる。

「2人共、スジが良いから早く習得出来そうだ。この分だったら他のステップも教えられそうだね。」
若旦那からお褒めの言葉をもらい、2人顔を合わせてホッと笑い合う。

それから1時間くらい交代しながら若旦那を相手にステップを練習した。若旦那の教え方は分かりやすく、覚える事の楽しさを知る。

莉子も段々と緊張がほぐれて笑顔が見えて来た頃、若旦那と組んで夢中で稽古をしていると、

「きゃっ…。」
急に後ろに引っ張られて、慣れないヒールの靴がカクンと外れ転びそうになる。

莉子は咄嗟に目をぎゅっとつぶる。

…だけどいつまで経っても衝撃は無く、そっと目を開けて背後をみると、いつの間にか駆けつけた司に抱き止められていた。

「つ、司さん⁉︎」

急な出来事に対応しきれず、莉子は驚き顔で司を見つめて目をパチパチとするばかり…。

「ごめん…驚かせて。」
莉子を抱き止めたままの状態で、司は若干恐縮気味に莉子に謝る。その距離感にドキンと心臓が跳ねて、足に力を入れる事も忘れぽかんとしてしまう。

「突然すいません。妻に少し休憩を…水分をとったほうが良さそうだ。」

司は若旦那にそう伝え、何食わぬ顔で莉子を抱き上げ若旦那から引き離す。そのままホールの片隅に置かれたソファまで連れて行かれて、そっと下ろされる。

「足首、大丈夫だったか?急に悪かった…。」

司は莉子の前に片膝を立ててしゃがみ込み、急ぎヒールの靴を脱がせ足首を持ち上げ、怪我をさせたのではないかとしきりに気にしている。

「だ、大丈夫です。つ、司さん…今、帰って来られたんですか?」

莉子はというと、恥ずかしくて真っ赤になった顔を隠すように俯き、動揺を隠しきれずにいる。

「ああ。…驚かせて悪かった。どこか痛い所は?」
再度聞かれて、少し落ち着きを取り戻し、

「大丈夫です…どこも痛くありません。」
と、莉子は微笑み伝える。

急に現れた司に面食らったのか、若旦那も呆気に取られた顔で、ぽかんとその様子を見守っていたが、我に帰ってフッと笑う。

「突然びっくりしたよ司君。
心配しなくても、君の奥さんを奪うつもりはないから安心して。」
そう言って2人に近付いて来る。

「すいません…衝動的につい…。」
司は立ち上がって若旦那と向き合い、真っ赤になって照れてしまった莉子を隠すように立ちはだかる。

「僕はあくまでもダンスを教えていた、だけだからね。」

「分かってます…。
邪魔してしまい、申し訳ない事をしました。」

さすがの司も気まずく思ったのか、若旦那に軽く頭を下げる。

微妙な空気が流れる3人に、亜子が気を利かせお茶を運んで来る。

「少し、休憩しましょうか。」

亜子は莉子の座っている側のテーブルにお茶を並べ、ソファに座る様に若旦那と司を誘導する。

「ありがとう、亜子殿。」
司も平常心に戻り莉子の隣に座って、お茶を啜りホッと息を吐く。

「今日はわざわざご足労、ありがとうございます。
こちらには何日ご滞在ですか?」
何事もなかったように司は若旦那に聞く。
 
「いえ、3週間ほど。
生地の買い付けもあるので、その間を縫ってになりますが、ダンスや作法を教えていきたいと思っています。」

「若旦那様が直々に来られるとは思ってもいなくて…
お忙しいようならば、他をあたりますが…。」
そう言って心配する司を、

「いえ、大丈夫ですよ。彼女達とは幼馴染ですし、気心知った仲です。それに2人共覚えが早いので、1週間もあればワルツくらいは習得出来ると思います。」

莉子は自分の妻だ、何を心配する事がある。司は自分にそう言い聞かせ、騒つく気持ちをどうにか抑えて、若旦那の申し出を受け入れる事にする。

「よろしくお願いします。」