甘美な果実

 前々から瞬の弁当美味そうだなって思ってんだよ。紘は最上階にいる俺を見上げ、深刻な空気を作ることなく明朗に笑ってみせた。放置してきた弁当のことなどすっかり頭から抜け落ちていた俺は、思わず、忘れてた、と唇を動かしてしまっていた。忘れんなよな、と受け取ったボールをすぐさま返し、食っていいよな、と更に追加する紘は、俺の許可を得ようとしているようで。処分するよりも食べてもらった方が、美味しく食べられない人よりも美味しく食べられる人の方が、料理にも、母親にも、悪くないだろうか。

 既に回答は出ているようなものだが、紘の言葉を咀嚼するための沈黙を作ってしまった。紘が飴を舐める小さな音が鼓膜を揺らした。俺は唾液を飲み込んだ。俺はもう、普通の食事を味わえない。ケーキを食べなければ、凶暴化してしまいそうなくらい不安定になることを知った。俺が食べたいのは、味のしない弁当ではなく、味のするケーキだ。篠塚だ。俺は篠塚を食べたい。篠塚を。

「……残り、食べてもいいけど、他人の食いかけ、口に入れられる?」

「全然それは問題ない。食べ方汚い人のだったら流石に躊躇するかもだけど、瞬は食べ方綺麗だし。逆に、俺から聞いといてあれだけど、瞬は自分の食いかけ食われるの嫌じゃねぇの?」

「紘が気にしないなら、俺も別に気にしない」

「そっか、ん、分かった。じゃあ、ありがたくいただくな」

 言って、紘は飴をガリガリと噛み潰し、ごくりと喉に通した。そうだった。紘は飴を舐めていたのだった。それを舐めた後にまたすぐ飯を食うのを想像して、無い味覚を持つ舌が恐怖に震えそうになる。飯が口の中に馴染むまで、とんでもない味がしそうだ。

「俺、瞬の弁当食いに教室に戻るけど、瞬も一緒に行くだろ? いや、行くぞ。飯食う許可は下りてても、何も知らない他の人からしたら、俺が勝手に瞬の飯に手をつけてるように見えんだから」