甘美な果実

 腹がほんの少しだけ満たされ、霞んでいた視界が晴れていく。落ち着きを取り戻したものの、次に芽生えたのは罪悪感であり、虚無感であり、寂寥感であった。初めてケーキの味を感じたのに、あまり満足感はなかった。原因は分かっている。圧倒的に量が足りないのだ。もっとがっつきたい。もっと形のあるものを喰いたい。そうしたくても、ケーキの、篠崎の身の安全を思うと箍は外せない。

 フォークとしての自分の欲求がどういう類のものなのか、もう見て見ぬ振りはできなかった。俺は、あっち側の、フォークだ。舐めるだけでは足りない。肉を引き千切って噛み潰して飲み込みたい。そうだ、それだ。俺は、そうしたいのだ。例の殺人鬼と同じように。喰いたい。

 両膝を立ててそこに肘をつき、両手で顔を覆い隠す。殺人鬼と自分が重なるのを見て、吐き気を催した。顔の分からない殺人鬼が、黒い影となって迫ってくるようだった。善か悪か、ふらふらしている俺を、暗い方へ手招いて誘い込むようだった。俺はあんな風になりたくない。なりたくないのに、ケーキの血肉を喰いたくて堪らない。ケーキの空気を食すように腕を濡らしただけでは、身体が十分に満足してくれない。

 我慢することも、我慢しないことも、自分か他人を傷つける。吹っ切れることはできなかった。できなかったが、他人を傷つけるくらいなら、自分を追い込んだ方が良くて。暴走しないように抑制するしかない。

 ケーキを食べてはいけない。ケーキは自分がケーキであることを知らないから、ケーキかどうか区別がつく自分が注意しなければならない。ケーキだと判明している篠塚には、近づいてはいけない。手を振り払い、突き放し、牽制したのは正解だ。そのはずだ。言動が暴力的な俺を見た篠塚も、俺を避けるようになるはずだ。彼には嫌われた方が楽だ。