「渋谷さん! どうしてここに」
 私はもう2度と会うことのないと思っていた渋谷さんの出現に驚いてしまった。
 あっけに取られていると、渋谷さんは私の手を引いて自分の方に引き寄せた。

「渋谷院長、俺のプライベートのことまでは関係ありませんよね」
 昨日は渋谷さんの前でヘコヘコしていた雅紀が今は反抗的だ。

「あるよ。僕は梨田さんと結婚するつもりだ」
 渋谷さんが、にわかには信じがたいことを言っていて私は思わず彼の顔をまじまじと見てしまった。

「はぁ? きらり、てめえ浮気してたのかよ。このアバズレビッチ女が!」
 私は渋谷さんの言葉に激怒して、今にも私に殴りかかろうとする雅紀に失望した。

 雅紀に暴力などふられたことはなかったが、彼は浮気だけでなく暴力も振るような男だったということだ。
 そして、自分は浮気するのに女の浮気は許せないらしい。
(そもそも、私、浮気していないし⋯⋯)

「僕の片想いだよ。でも、梨田さんのことは一生俺が守るって決めたから。これ以上騒ぐようなら警察呼ぶよ。それから系列病院への紹介の話もなくなると思ってね」
 雅紀の腕を掴みながら射抜くような目で言う渋谷さんをじっと見つめてしまった。
 そして、どうやら雅紀は新渋谷病院から他の病院に行くようだ。
(ルナさんの希望かしら⋯⋯彼女も雅紀に怒っていたみたいだし)

「ふっ! なんか金持ちに目をつけられて良かったな。貧乏きらり!」
 散々私に貢がせてきた雅紀は、私に捨て台詞を吐くと走り去ってしまった。

「渋谷さん、今日は何かご用事でしたか? とにかくここで話すと目立つので中に入ってください」
 私は彼をマンションのエレベーターホールまで連れてきた。
 エレベーターホールには今誰もいなくて、すんっと静かな空気が流れている。

「お部屋には入れてくれないんですね」
 渋谷さんが呟いた言葉に私は押し黙ってしまった。
 私は彼を部屋に入れることに、なぜだか抵抗がある。

「雅紀は新渋谷病院から異動になるのですか?」
「あんな酷いことをした男が気になりますか? 彼はうちの病院の研修医をクビにしました。職員に対してパワハラやセクハラに該当する行為もあったので妥当な処分です」

 渋谷さんが言う言葉に、私は雅紀が今の職場を追い出されることで苛立っていたのだと推察した。

「富田雅紀のことを考えないでください。さっき、僕、梨田さんにプロポーズしたんですが、それについては受け入れて貰えてますか?」
 切なそうに私を見つめる渋谷さんに動揺した。
(あのプロポーズは雅紀を追い払う為のパフォーマンスなんじゃないの?)