キリトが僕の護衛になった日から早数週間が過ぎた。
 奴は相変わらず僕に対する不遜な態度を変えようともしないし、むしろ日に日に無礼さが増している。



「ねぇねぇ、ご主人様」
『くっつくな、鬱陶しい!』



 暑い夏がやってきて制服も夏仕様へ変化した。
 いくら涼むためのクーラーがついていようが、ひっついてくる馬鹿がいるため暑い。

 キリトは従者の身であるというのに僕のことをからかうし馬鹿にするしで護衛らしいことは何もしていないように思える。
 あと、無駄にスキンシップが高いのはなんなんだ?
てか、おい、さりげなく太ももさわるな。
セクハラで訴えるぞ。

 
 あまりに暑くてキリトをどかそうとわちゃわちゃしていたら、「咲耶」と由瑠から声をかけられた。



『何?』

「ん、お呼び出し」



 気だるげに頬杖をつきながら、由瑠は指を教室のドアの方へ向けた。
 その指に釣られて顔をそちらへ向ける。


『あ』


 パチリと目があったのは、見知った顔だった。
犬神颯。
 本家筋の息子であり、本家の中でボクを敵視しない人間の一人。
 颯とは1歳差で、颯は確か2年生。
 久しぶりに顔を合わせるな。
 最近話せていなかったから、丁度いい。


「あの人誰?」


 犬神家についてあまり知らないキリトは颯を見て不思議そうな顔をする。



『…僕の兄的存在だよ、ちょっと行ってくるから離れて』

「えー、ボクもついてく」

『ダメだ、邪魔するな』



 キリトがいると、颯とまともに会話できない予感がした。
 ピシャリと跳ねると、キリトは渋々離れた。
 僕は席を立ち、颯のもとへ向かう。



『颯、何か用?』



 大体犬神家の年上には敬語を使う仕来りがあるけど、颯は許してくれたためタメ口をきいている。



「久しぶり、咲耶。
 実は家のことで話したいことがあってさ」

『家?別にいいけど』

「じゃあ話そうか。
 あ、ここだと何だし移動しない?」

『うん』



コクリと頷くと颯は先に行ってしまった。
側耳を立てていそうなキリトを『着いてくるなよ』と言葉の代わりに睨むと、颯の後を追う。



『で、犬神家の話って?』



 空き教室に到着し中に入ると、僕は颯に話を振った。
 颯が僕を学校で呼び出すなんて今までなかったからな。
 余程重要なことなのだろう。
 颯は申し訳無さそうに笑い、頬をかいて言う。



「…ごめん、本当はそういう話をしたかったんじゃなくて、君の護衛について話したかったんだ」



護衛の話?



『…キリトのこと?』



 なんだ、アイツのことは颯にも伝わっていたのか。
 まぁ、次期当主のことだし、家中の者に知らされていても何らおかしくはないが。
 キリトの名前を出すと、颯の目の色が変わった。
 颯にガッと勢いよく両肩を掴まれる。



「その人マフィアの暗殺者なんでしょ?
 信用して本当に大丈夫なの?」



 僕を心配するような颯の顔に、僕は『あー』と苦笑した。
 マフィアの元暗殺者ってことまで広がってるんだな。
 僕も最初はキリトにある意味で襲われかけたし。
 それに、アイツがどこかイかれてるのは事実だから、颯が心配するのも無理はない。



『…別に信用はしてないし。
 もし黒なら僕が潰すから大丈夫』



キリトは信用ならない男だ。
 万が一僕を裏切るような真似をするなら、ただでは済まさない。



「クビにするつもりはないの?」

『当分は様子見のつもり』



 本当は護衛はいてもいなくても良いんだけど。
たまには騒がしいのも悪くはない、なんて。


 …まぁ、それはともかく、僕を襲ったり煽ってくるのは止めてほしいのだが。


僕の答えに、颯は「そう」とだけ言った。
 僕の肩を掴んだまま、目を虚ろにする颯に違和感を覚えた。



『颯…?』

「…今やるしかなさそうだな」


 ボソ、と呟いた颯の言葉が聞き取れなくて首を傾げた時。




「咲耶、お前、邪魔なんだよ」




 いつも優しいはずの颯の声が、突然冷たくて、それでいて暗く淀んだ。
 はっきり言い放たれた悪意に僕は瞠目した。  



『は?っ、ぁ…』



抵抗する間もなく、肩に何かが刺さる。
 カチと音がして、颯は僕の肩から注射器を抜く。
瞬間、力が抜けて床にしゃがみこんだ。


それと同時に、頭をアラートが支配する。
 僕は今起きたことの顛末を理解してしまった。
起きてほしくなかった、現実を。



そして、心の中で呟く。



あぁ、僕はまた、“間違えてしまった”。