お母様にシュッセル公子との婚約を頼んでから二週間。
 思っていた以上の速さで話が(まと)まった。そう纏まってしまったのだ……。

 多分だけど、噂になっているんじゃないかな。
 何せ、相手は公爵家の嫡男。さらにいうとドリス王女の婚約者候補だった人物だ。
 結婚市場では、カーティス様とはまた違った意味で人気がある。性格に問題があっても、価値としてはやはり高いからだ。

 そうであっても、私はこんな男は選びたくない。余程の理由がない限りは。そう、余程の……。

「何をしている。さっさと来い」

 うん。あり得ないわ~。

 目の前をずかずかと歩くシュッセル公子に、私は笑顔を向ける。勿論、作り笑いだ。むしろ、それだけでも有り難いと思ってほしい。

「何が悲しくて、貴重な休日をお前と過ごしていると思っているんだ」
「マァ、コウエイデスワ~」

 棒読みで言っているのにもかかわらず、シュッセル公子はうんうんと頷いていた。

 そう、今日は貴重な休日を使って、シュッセル公子とデートをしている。故に、「それはこちらの台詞だ!」という言葉を飲み込むしかなかった。

 何せ、先にも述べたように、この婚約はお母様に頼んだもの。つまり、マクギニス伯爵家からシュッセル公爵家に打診したのだ。
 だから、このように横柄な物言いをされても、反論できなかった。
 加えていうと、婚約したのに一度もデートをしない、というわけにもいかず、渋々付き合っているに他ならない。

 この間、カーティス様と出かけた時とは大違いだ。あの時も驚きの連続だったけれど、とても気を遣っていただいたからか、余計にそう感じるのかもしれなかった。

「念のためにお聞きするんですが、ドリス王女様にもこのような態度で?」
「はっ! 仮にも王女だぞ、そんなわけがあるか。まさかとは思うが、ドリスと同列だと思っているのか?」
「いいえ。そんな恐れ多いこと、思ってなどいません」

 むしろ敬称をつけない、シュッセル公子の方がどうかと思う。

「一応、自分の身の丈は分かっているようだな」
「えぇ。ですから、お好きなように。私はその後をついていきますから」
「……ふん! こんなつまらない女だったとはな。全く誰のせいでこんな目に」

 口が悪く、性格に難がある男でも、腐っても鯛、いや公爵家の嫡男、といったところか。
 自分が何故このような立場になってしまったのか。その原因が私にあることは承知のようだった。

 それなのに、婚約を引き受けたこと。今日のデート。
 仮に父親であるシュッセル公爵に言われたとしても、すんなり従うのには、何かわけがあるのだろうか。

 あと、私をどんな女だと思っていたんだろう。

「そんなに嫌がるのでしたら、公爵様に仰らないんですか?」
「抗議をか。猫憑きなら分かるだろう。今の俺に、そんな発言権がないことくらい。だから、父上に頼み込んだんじゃないのか」

 こういうところはお互い話が分かって助かる。シュッセル公子が、ただのボンボンじゃないってところも含めて。

「この間の仮面舞踏会の件は、私としても不可抗力なものでした。ヴェルナー殿下から、ドリス王女様について調べてほしいとカー……グルーバー侯爵様を通して依頼されましたので」
「あれは、妹離れができていない男の仕業だったのか」
「……まぁ、そういうことになりますね」

 不敬罪で、いますぐしょっぴぎたい。というより、誰か連行してくれないかな。

「で、馬鹿正直に引き受けたと。本当に動物並みの脳しかないのだな」
「……我がマクギニス家は中立派です。王党派にも貴族派にもつくつもりはありませんから」
「だが今回、父上に頼んだのは、王党派の連中が助けてくれない、と判断したからじゃないのか」
「それは――……」

 私が言葉に詰まると、シュッセル公子は畳みかけるように続ける。

「我がシュッセル家と同じく、裏社会に精通している割に上手く使えていないのは、猫憑きらしく思うが。ウチに頼るほど、財政難だったとは知らなかったぞ」
「王城内にいる猫たち。私たちの指示で動いてくれる猫たちの食事代や世話代が、結構かかるんです」
「ゴミを漁る猫たちの面倒まで見ているのか。それで自分たちが困窮(こんきゅう)していても」
「それが我が家の方針ですから」

 私はギュッと両手を握り締めた。口調や言葉の端々に、我が家を愚弄(ぐろう)しているのが見て取れたからだ。いや、それだけではない。猫に対しても。

「アホとしか言いようがないな。上手くやればウチから援助を受けなくても、十分にやっていけるってのに」
「猫を犯罪の道具にするつもりはありません」
「だが、その代わりに俺と婚約させられたんだぞ。隠しているつもりかもしれないが、嫌だって顔に書いてあるのがバレバレだ」

 媚びも売らない。愛想も振らなければ、誰だってそう思うだろう。けれど、私にはそれができなかった。

「これなら、猫の方が優秀だな。餌をチラつかせれば、簡単に寄ってくる」
「そんなことはない」

 えっ、と思った瞬間、肩を引かれた。背中に当たる体温に、心臓がうるさく鳴る。

「カー……グルーバー侯爵様」

 そういうと、一瞬だけ寂しそうな顔をされた。思わずアッとなったが、時はすでに遅し。
 カーティス様は私とシュッセル公子の間に割って入っていた。

「餌を見せても寄って来ないし、顔を見せたと思ったら逃げられるし、大変なんだぞ」

 カーティス様……それはモディカ公園で体験した出来事でしょうか。そうだとしたら、本当にすみません。

「なんだ。忠犬といわれているから、とうとう猫にまで避けられたのか。滑稽なことだな」

 シュッセル公子の言葉にも否定できなかった。だって、その通りだから。

「それで、自分に(なび)かなかった猫を、未練がましく様子を見に来たってわけか」
「えっ?」
「だが残念だったな。今は俺の猫だ。忠犬は大人しく、飼い主様のところに戻れ」
「あっ」

 シュッセル公子はそう言い放つと、カーティス様の後ろにいた私の腕を掴んだ。

 嫌っ!

 その瞬間、カーティス様の腕に手を伸ばした。と同時に、カーティス様も私の手を掴もうとしてくれた。

 ダメ! ここで頼るわけにはいかない!

 私は咄嗟に手を下ろす。

「ル……マクギニス嬢」

 シュッセル公子に腕を引かれながら、私は下ろした手を胸に当てた。先ほど、カーティス様が感じた寂しさを、私も感じてしまったから。