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明るい光の入るスイートルームのような病室とはいえ、ベッドに横になっているだけだと、ふつうの病院と案外変わらないものだった。
ふと、会社のことを思い出す。
そうだ、連絡しなくちゃ。
それと同時に、嫌な気持ちもよみがえってきて思考が停止してしまう。
だけど、こんなところにいたらみんなに迷惑がかかってしまう。
課長にも進捗報告しないと。
良くなったんだから早く退院して会社に戻らないと。
ベッドの上で葛藤していると、ドアがノックされた。
「失礼しますよ」
白衣の男性が入ってきて頭を下げる。
「担当医の石本と申します」
史香も軽く頭を下げて迎え入れた。
「朝食も召し上がったようですね」
「はい。あの、私……」
「昨夜帰宅途中にめまいの症状で倒れたようで、こちらへ搬送された時に検査した結果では、良性の突発性めまいという診断になりました」
「それはつまり……」
「分かりやすく言えば、突発的に起きためまいで、脳出血などの重篤な原因があるものではないということです」
かえってよく分からない説明だ。
「めまいの原因にはいろいろあるのですが、はっきりとした異常があってそのせいで起きたものであれば、その原因を治療しなければなりませんし、再発の可能性もあります。ですが、黄瀬川さんの場合は機能上の問題はなく、再発の可能性も低いということです。ですから、回復すればそれ以上の治療の必要はありませんし、すぐに退院できますよ」
「ああ、そうですか」
「おそらく風邪のような症状から耳に炎症が起きて、それが原因で耳石がずれてめまいが起きたのではないかと思います」
「耳ですか」
「平衡感覚は耳で感じ取っていますからね」と、石本医師がタブレットに耳の内部の解説画像を出す。「よく、バットをおでこに当ててぐるぐる回ってから走るという遊びがありますよね」
「ええ、真っ直ぐ走れなくなるんですよね」
「はい。それが半規管と前庭器官の作用なのです。そこに何らかの影響が出て、めまいが生じたと考えられます」
お医者さんはタブレットを置いて史香にたずねた。
「ストレスや過労などに心当たりは」
ありすぎてつい笑みが浮かんでしまった。
「仕事が忙しかったので、知らないうちに疲れがたまっていたのかもしれません」
「なるほど」と、お医者さんは真剣な表情でうなずいた。「そういったことも行きすぎれば十分に原因となりますからね。やはり適度な休暇は必要ですよ」
それは言われなくても分かる。
だけど、それができれば誰も苦労はしない。
もちろんそんなことをここで吐き出してもどうにもならないから史香は言葉を飲み込んでしまった。


